異端カタリ派の謎 (1) | アルプスの谷 1641

アルプスの谷 1641

1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録

「お前たちが異端カタリ派を知らないのも無理は無い。 その名を知る者は
すべて殺されたからだ」

 

(第2部 「異端の谷」、第3章「ジェラルド」、第7節 (3) より )

 


 親愛なる読者諸兄姉の皆様!

 
 こんにちは。吉高です。

 

 皆さんはカタリという言葉を聞いたことがあるでしょうか。恐らくは、

 

多くの方がご存知ないのではないかと思います。

 

 知らなかったとしても、それは読者の皆さんのせいではありません。

 

1980年代の後半になるまで、その言葉は大英百科事典にすら記載されてい

 

ませんでした。それは意図的に隠されてきたものなのです。

 

 カタリ派とは、ヴァルド派と並んで12世紀の南フランスに栄えた異端
 

の一派です。 カタリの教義は、いわゆる二元論に基づいています。



 この世界を作ったのは真の神ではなく、偽りの神である。


 しかし、この世界には、真の神に属するべきものが閉じ込められている。

 それが我々の魂である。


 我々の魂は、真の神の元に帰るまで、この地上に生まれ変わる。


 真の神は世界創造とは何の関係もなく、それゆえ人間を救う義理もない。

 にも関わらず、ただ我々を愛するが故に、その御一人子イエス・キリスト
 を救い主として地上に遣わし、十字架に掛けさせた。

 これこそ真の神が、愛の神である証である。



 こうした思想は、現世否定に繋がり、



 男女の交わりを避け
 (子供を産むことは別の魂を肉体に閉じ込めてしまうことになる)


 肉食を禁忌しました
 (動物にもまた魂が宿ると考えていました)



 あらゆる生産的な活動は偽りの神――悪魔を利する行為と考えたのです。

 
 こうした現世否定、輪廻転生の思想ゆえに、カタリ派は
西洋の仏教徒

 

とも言われています。


 

 ところで、現世を否定するような、一見すると悲観的な思想のカタリ派とは


どのような人々だったのでしょうか。


 彼らは隣人たちから「お人好しさん」と呼ばれるほど親切で、音楽や恋愛詩

 

を愛する、大変、陽気な人たちだったということです。

 

( トルバドゥールと呼ばれた吟遊詩人を保護したことで知られています )

 

 カタリ派の人々にとって、「この世界に生まれたからには、既に地獄にいる」

 

ということなのだから、「何がどうなっても、もうこれ以上、悪くなることはない」

 

という考えに繋がるからです。 彼らにとっては死さえも救いでした。


 また、プラトニックな恋愛を称賛しながらも、誘惑されれば、大喜びで罪に

 

落ちました。一般の信徒は、このため、死ぬ間際まで救慰礼を受けません

 

でした。 結構、調子のいい人たちです。

 

(佐藤賢一氏は、その著書の中で、カタリ派の人々を関西人になぞらえてい


ます)

 

 
アルプスの谷 1641 カタリを襲うカトリック軍



 十二世紀、南フランスのラングドック地方を中心とした地域は、自由の


気風に溢れ、カトリックは勿論、ヴァルド、カタリといった異なる宗教の


人々が平和に共存し、華やかな文化が咲き誇っていました。


 とりわけ先鋭的だったカタリ派は、カトリック教会を否定し、教会税を

 

納めることを拒否したばかりか、キリストを殺したことの象徴である十字

 

架を焼き捨てたりしました。

 

 カトリック教会はカタリを破門、さらには、教皇インノケンティウス3世

 

によって、異端征伐のための十字軍が組織されます。これが、アルビジョア

 

の十字軍と呼ばれるものです。

 

 カタリ派とカトリック軍の闘いは、実に三十年近くも続きました。カトリ

 

ックの軍隊を相手に、カタリ派がかくも長く持ちこたえることができたのは、

 

民衆からの強い支持があったためと言われています。

 

 しかし、その徹底的な弾圧と破壊によって、当時の南フランスの先進的な

 

文化は、ついには地上から消え去ったのです。

 


アルプスの谷 1641 カルカソンヌを追われるカタリ



 歴史的な出来事としては、このアルビジョアの十字軍は、実は当事国のフラ

 

ンスでさえ、あまり語られることがありません。語られるとしても、これに

 

より、南フランスで教会の権威が確立された、或るいは、フランス王国がラ

 

ングドック地方併合により拡大したといった、良い影響しか知らされません。

 

 しかし、読者の皆さんはこれが真実の隠蔽であることをもうご存知です。

 

アルビジョアの十字軍とは、人類の歴史でも稀に見る一方的な大虐殺であ

 

り、ひとつの文化を地上から消し去ってしまうほどの蛮行でした。その犠

 

牲者は百万人といわれているのです。

 

 

 こうして滅び、人々から忘れ去られたカタリ派ですが、近年、その名前

 

が徐々に知られるようになりました。それは 1960年台に起きた、ある出

 

来事が発端となっています。

 

 この話については、次週、回を改めてお話したいと思います。

 

 


アルプスの谷 1641 カタリ派最後の抵抗の場となったモンセギュール城