閲覧注意!「死の劇場」 中世ヨーロッパを襲った黒死病の惨禍 | アルプスの谷 1641

アルプスの谷 1641

1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録


「黒死病が流行った時代には、マレド近郊にも村人が全滅して、その

    

まま打ち捨てられた集落が幾つもあると聞きます。 この家にもそんな記憶が

    

秘められているのかもしれません」 (第2部 「異端の谷」、第1章「アンナ」、第2節より)


         <ズンボ作 人生の栄光の虚しさ>

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 現代にあっては――私のように特定の宗教に属さない人間であればなお

 

さらですが、――近代以前を生きた人々の宗教的熱意はなかなか実感として


感じにくいのではないかと思います。しかし、死が常に隣にあるような状況に

 

あれば、人は誰でも神にすがる気持になるのかもしれません。


 中世のヨーロッパを襲った黒死病は、1347年に最初に出現して、わずか5年

 

ほどの間に約3500万人が犠牲となり、ヨーロッパの人口を半分にしてしまいま

 

た。人はその惨禍を見て、黙示録の時至りぬと考えたとしても何の不思議も


ありません。

 
 ここに
黒死病の惨禍を徹底したリアリズムで表現した人物がいます。


 ガエターノ・ジュリオ・ズンボ (1656-1701)。――この謎に包まれた蝋細


工師は、ナポリで黒死病の惨状を描いた絵を目にしました。

 


Neapolitan plague of 1656 by Mattia Preti

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 そして、これを蝋細工にした作品によって認められ、メディチ家の庇護を受けま


した。 彼はその作品を通じて、人間が分解していく様を執拗に追及し、人の生の

  

虚しさを表現した作品から、解剖学的標本まで、様々な作品を残しました。 一体、

 

何が彼をこのような作品に駆り立てたのでしょうか。

 

 作品は フィレンツェ、ラ・スペーコラ博物館 <La Specola> で見ることができます。


 Youtube にもビデオがありましたが、ズンボの作品もさることながら、ビデオ自体


が狂気を感じさせるものなので、耐性のある方のみ、ご覧になっていただきたいと


思います。


 来週の水曜日(2/6)は、「黒死病の謎」 についての記事をアップします。



Le Cere della Peste, di Gaetano Zumbo