第1部 「告白」、第4章「審問」、第14節 | アルプスの谷 1641

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1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録

「そうか。 お前が悪魔と関係があるかないかは、拷問に掛けてみれば分かる
ことだ」 (前節 より)
 
 
本ブログをご訪問いただき、ありがとうございます。
 
 
第4章第15節は10月6日に投稿します。
なお、10月3日には、時代背景として、
 
 
「魔女狩りの政治学(2) 神の預言か、少女の妄想か ジャンヌ・ダルク」
 
 
を投稿します。
 
 
( 全体の目次はこちら(本サイト)からご覧いただけます )
( 第一章の最初から読む
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第4章 「審問 」
 
 
14. 拷問     見習修道士シルヴィオ語る。
 
 
 
  エミリオ様の指揮の下、直ちに拷問が開始されました。
 
「四十八時間だけやる」 エミリオ様は刑吏たちに言い渡しました。 「四十
 
八時間以内に悪魔との関係を白状させろ」
 
  それを聞いた刑吏たちは溜息をついて顔を見合せていましたが、エミリ
 
オ様は 「首尾良く被告たちに告白させることができたなら報酬を弾む」 と付
 
け加えることを忘れませんでした。
 
  被告たちの方は虚しくも抵抗を試みました。 罪を認めれば火刑が待ってい
  
るのですから、それは当然です。 市長のコルラードは、時間を稼げば、然る
  
べき筋からの介入で自分は助かると考えていたことでしょう。 裕福な商人の
 
息子であるシスモンドは、親が金を積んで自分を釈放してくれると考えていた
 
かもしれません。 しかし、熾烈を極めた拷問は、そのような小賢しい思惑を粉
 
々に砕いてしまうほどのものでした。 それがいかに苛烈なものであったかは、
 
総てが終わるまで、二十四時間も掛らなかったことからも想像が付きましょ
 
う。
 
  自分は魔女を見分けられるとしてマルティーナを告発、事件の発端を開い
 
た羊飼いのルキーノ ですが、手足を鎖で繋いで天井近くまで持ち上げ、石
 
の床に落とした所、首の骨を折って罪を告白する間もなく絶命してしまいまし
 
た。 通常、教会が被告を殺してしまうことは禁忌です。 刑吏たちが気まずそ
 
うにしていると、
  
「どうということはない」 エミリオ様は事も無く言い放ちました。 「死体はそ
  
のまま床に転がしておけ、他の者への見せしめだ」
  
  金を払ってルキーノ に虚偽の告発をさせたシスモンドは、万力に手を締
  
め付けられ、総ての指の骨が音を立てて砕けた所で、罪を告白しました。
  
  フォスカリ夫人を脅して元市長のマウリッツィオを陥れたテオドロは、最
 
初から自暴自棄になっていたのでしょう、 罪を認めさせるのに、拷問をす
     
る必要すらありませんでした。 が、コルラードには多少、手が掛かりました。
 
その拷問には、手足を縛りつけてそれぞれ反対方向に引き延ばす装置が
 
使われました。 刑吏が円形のハンドルを廻すと、その体は緊張した糸のよう
 
に張りつめ、次第に伸び、やがては手足の健が切れ、皮膚が裂け始めました。
 
コルラードの虚勢もここまで―― もう少しで腕がちぎれると思われた時、
   
罪を告白したのです。
 
 
 
  しかし、一人、例外がありました。 アルベルタ・フォスカリです。
 
  エミリオ様は女を審問室に呼び出すと、審問の結果を言い渡しました。
 
「お前が行ったことは、善良なキリスト教徒を陥れる悪魔の所業であった。
 
理由はどうあれ、敢えて悪魔に協力したことは許し難い。 しかし、お前が罪
 
を犯したのは、悪魔に魂を売ったからではなく、悪魔の手先共に脅迫された
 
からであると考える。 これを鑑み、お前を釈放する」
 
  エミリオ様はここで読み上げていた紙を置き、女を睨みつけました。
 
「しかし、忘れるな。 お前に対する情状を認めるのは、この私ではない。 お
 
前が裏切った男は、お前が罪に問われることを望まなかった。 当法廷はその
 
男マウリツィオの意志を尊重し、お前を釈放するだけだ」
 
  私はその言葉を聞いた時、この女にも何かしら心を動かされるものがある
 
はずと思って見ていましたが、女は表情ひとつ変えず、深く頭を下げてから
 
審問室からゆっくりと歩み去り、そのまま夜の闇へと消えていきました。 あ
 
の女がその後どうなったのかは知りません。
 
  自分はその時、まだ子供といってもいい年齢ではありましたが、運命を
 
淡々と受け入れ、振り返ることもなく前だけを向いて歩み去る女の姿に、感
 
嘆を覚えずにはいられませんでした。 また、マウリツィオという男が、裏切
 
られた後までも女のことを気に掛けていたという理由が、未熟な自分にも少
 
しは理解できたような気がしました。
 
 
 
  今度こそ審問の総てが終わったものと、私は正直、ほっとしておりまし
 
た。 しかし、それも束の間のこと、一日も経たず、まだ全てが終わったわけ
 
ではないということを思い知らされることになったのです。