本ブログをご訪問いただき、ありがとうございます。
第4章第7節は7月28日に投稿します。
( 全体の目次はこちら(本サイト)からご覧いただけます )
( 第一章の最初から読む )
-----------------------------------------------------------------
第4章 「審問 」
6. 羊飼いルキーノの告白
審問官様、何でも話します。 拷問はいけません。 私は異端とも悪魔とも何
の関わりもありません。 話を聴いて貰えれば分かります。 ですから、拷問だ
けはおやめください。
私は羊飼いを生業としております。 父親も羊飼いでしたから、長男である
私は、もう子供の時から羊飼いになることは決まっていたようなものでした。
羊飼いが聖なる職業と信じられているのは、審問官様、あなたならよくご存
知でしょう。 天使が救い主の降誕を告げたのは羊飼いだったとか、そんな理
由だったと思います。 ええ、いっぱしに教会に行くぐらいはしますが、如何
せん、いい加減な平信徒でございますから、詳しいことは実は自分もよく知
らないのです。 知っているのは、ただ、羊飼いは悪魔や魔女に対抗する特別
な力を持っているという話があるってことだけです。 それが本当かどうかな
んて分かりません。 少なくとも、自分は他の人たちと何ひとつ変わりゃしま
せん。
自分は悪魔なんか見たことはないし、魔女が裁判に掛けられるのを見物し
た時を除いては、魔女と会ったこともありません。 魔女として有罪になった
女を見ても、自分には何の徴も見えませんでした。 だから、魔女狩りだの異
端審問だの、そんなものは自分とは無縁のものだと思っていました。
しかし、ある日のことです。 村外れにヨランダという女が住んでおりまし
て、そいつはずっと前に亭主を失くしてからというもの、ちっぽけな荒れた
畑で、売り物にもならないような貧相な野菜を育てて暮らしている婆さんな
のですが、そいつが突然、うちにやってきたのです。 私が面倒見ている羊が
畑を荒らしたから弁償しろなどと言って、その様子たるや陰険そのものでし
た。 その婆さんは、いつもそうやって難癖を付けては小金をせびろうとする
鼻つまみ者でした。 せびるといっても大した金じゃないので、揉め事を嫌っ
て、さっさと金をやって追い払っていた者もいたようです。 しかし、生憎と
その日はこっちも虫の居所が悪く、売り言葉に買い言葉で激しい言い争いに
なってしまいました。 その婆さんは、金を取れないと分かると「お前を呪っ
てやる。 後で吠え面かくんじゃないよ」と捨て台詞を吐いて、おまけに持っ
ていた泥だらけの芋を投げつけて帰っていきました。 収まらないのはこっち
です。 どうやって仕返ししてやろうかと一晩中考えていたら、ふと、村人た
ちが、マレドに新しく赴任された審問官ジョットー様の話をしていたことを
思いだしました。 異端に対して非常に厳しい方で 「一人の異端を滅ぼすため
なら無実の千人が死んでも構わない」 という言葉を、文字通りに実行しかね
ない方だという噂でした。
自分はその結果を深く考えもせず、人目を忍んで異端審問所に出向き、ヨ
ランダを魔女して告発しました。
ジョットー様に喋ったことは、大したことではありません。 あの女が自分
に都合の悪い人間を呪っているとか、あの邪悪の目の中に魔女の徴が見える
とか、そんな類のことです。 羊飼いは魔女の徴を見る力があるとされている
からでしょう、ジョットー様は生まれついての羊飼いである私の言葉を注意
深く聞いてくださったばかりか、褒美の金さえくださいました。
私の方はヨランダが審問で少しばかり恐い目に遭えばいいと、その程度に
考えていました。 何も火刑を望んでいたわけではありません。 あの邪悪な婆
さんが少々痛い目にあって、もう二度と人に迷惑を掛けないと誓えば、それ
で開放されると思っていたのです。 ヨランダは嫌われ者ではありましたが、
少なくとも人を傷付けるようなことをする人間ではありませんでしたから。
以前の審問官様だったら、そうしていたでしょう。 少しばかり脅かしはして
も、異端審問に掛けることはなかったと思います。 しかし、ジョットー様は
違いました。 あの婆さんを直ちに捕え、拷問した上に、最後は火刑台で灰に
なるまで焼いてしまったんです。
私は内心、大変なことをしてしまったと、暫くは縮み上がる思いでいまし
たが、ヨランダが火刑にされたからといって、悲しむ者も怒る者もありませ
んでした。 どの村人もあの女のことをひどく嫌っていましたし、裁判で自白
したと聞いて「やっぱりあの婆さんは魔女だったんだな」 などと噂していま
した。 その内、自分自身、ヨランダはやはり魔女で、自分は正しいことをし
たのだと思うようになりました。 村の者たちが、告発した人間のことを「勇
気がある」 と褒めさえするのを、私は素知らぬ顔で聞いていました。 告発者
の秘密は守られていましたから、私が告発者であることを知る者はいません。
時に村人が告発者を英雄のように言うのを耳にした時などは、つい、告発者
は自分だと言いたくなる気持ちになったことも少なくありません。
しかし、酒場で飲み過ぎた時、ついにそれを口に出してしまいました。 仲
間が興味津々で話を聞いてくるものですから、自分もいい気分で喋ってしま
いました。 話をした連中には決して人に喋るなと、固く約束させたのですが、
人の口に戸は立てられないということなのでしょう、心のどこかで恐れてい
たことが起こってしまいました。
或る日、友人のトマゾに呼ばれて彼の家に行くと、そこに見知らぬ男がひ
とり、私が来るのを待っていました。 見た目に年齢が分かりにくい男でした
が、話を聞いてみると、思ったよりずっと若いと分かりました。 恐らくは二
十台半ばといった所でしょうか。 腹は出ているし、背はあまり高くはありま
せんが、仕立ての良い服が、その風采を補っておりました。 自分たちの仲間
で無いことは一目瞭然です。 恐らくは街の裕福な商人の息子か何かだろうと
思いました。
お互い挨拶もそこそこに、私が怪訝そうな表情を浮かべていると、その男
は何の前置きも無く話を切り出してきました。
「あなたは魔女を見分ける力があると聞きました。 そこで折り入ってお願い
したいことがあるのです。 自分の知っている女で、魔女に違いない不吉な女
がいます。 その女の周りでは病や死が広がり、善良な人々が苦しんでいます。
キリスト教徒の義務として、このまま放っておくわけにはいきません。 その
女を魔女として告発したいのです。 しかし、私は女に顔を知られているので、
自分で告発するのは具合が悪いのです。 その女はどんな方法を使って報復し
てくるか分かりません。 そこであなたにお願いしたいのです。 あなたなら魔
女に対抗できるし、審問官も信頼しています。 この通り礼は弾みます」
そう言って、男はテーブルに結構な額の金を並べました。 内心では成り行
きに脅えながらも、私はその金から目を離すことができませんでした。
その後のことは審問官様もご存知の通りです。 私はマルティーナという女
を魔女として告発しました。 見ず知らずの女を魔女として告発するのは、気
分の良いことではありませんでした。 しかし、金に目の眩んでいた私は、も
はや何事も自分に都合の良いようにしか解釈できませんでした。 その女は魔
女に違いないのだから告発されるのは当然で、自分がやらなければ、他の誰
かがやることになるに決まっている、それならば、自分が告発して、少しば
かりの金をせしめても何の悪いことがあるものかと。
しかし、ジョットー様に確認を求められ、覗き窓から地下牢に繋がれたそ
の女を見た時、自分は初めて間違ったことをしたのではないかという不安に
捕らわれました。 身も世もなく泣き崩れているその女が、暗い明かりの中で
あっても、とても美しい人であることが分かりました。 一体、誰があのよう
な女性を悪魔と結び付けることができるのでしょう。 しかし、私はジョット
ーに、あの女に間違いありません、と言うしかありませんでした。
事件は自分の予想を超えた大きなものになってしまいました。 マルティー
ナというその女は次々に仲間の名前を自供し、街でも有名な貴婦人たちが次
々に審問に掛けられていきました。 このことについては、自分は何も知りま
せん。 これは本当です。 なぜこうなってしまったのか、私にも分からないの
です。
時々、自分に言い聞かせるんです。 自供したのだから、あの女は本当に魔
女だったに違いないと。 あの男――シスモンドと名乗ったあの男の言うこと
が正しく、女の美しい容姿は人の目を欺くまやかしだったに違いない、そう
考えて自分を納得させるしかありません。 それでも、地下牢に繋がれて泣い
ていた女の姿は、頭を離れることはありませんでした。
男からせしめた金なんか、あっという間に酒代に消えてしまいました。 ジ
ョットー様からいただいた褒美の金も同じです。 今じゃ、酒なしじゃ生きて
いかれなくなっちまいました。 その後も、端金で魔女の告発をしたことがあ
りますが、その時には、もう何も感じることはありませんでした。
私の話はこれで全部です。 もうお分かりでしょう。 私は悪魔のことも魔女
のことも何も知りません。 ましてや異端なんかじゃありません。 道を見失っ
た哀れな羊飼い、ただそれだけなんです。