第1部 「告白」、第4章「審問」、第5節 | アルプスの谷 1641

アルプスの谷 1641

1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録


「これまで、お前の告発によって火刑になった女たちが少なからずいることは

覚えているだろう。 そうであるからには、間違いは許さぬ。 それをよく肝に

命じておけ 前節より)

 
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第4章第6節は7月21日に投稿します。  

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第4章 「審問 」 
 
 
5.羊飼いルキーノ、審問の日 
 
 
 
 羊飼いルキーノが捕えられてから丁度一週間、審問の始まる時が来ました。 
 
私はその準備を手伝いながら、胸の内でくすぶっていた疑問をエミリオ様にぶ
 
つけてみることにしました。
 
「ちょっとお尋ねしても宜しいでしょうか。 もしも、あの男が、三人の女の中
 
から正しく魔女を――つまり修道女ではない女を指差していたのなら、どうな
 
っていたのでしょう。 やはり女を審問に掛けていたのですか? そもそも魔女
 
の嫌疑を掛けられていたという女はどうなったんです?」
 
「一体、お前は何の話をしているのだ? あの三人の女の中には魔女も修道
 
女もいない。 全員、救貧院から引っ張ってきた老女たちだ」
 
「え? そうだったんですか? では、男がこの中に魔女はいないと言ってい
 
たらどうです? 何と答えるつもりだったのですか」
 
「もしもそう言ったのなら、あの男は本当に魔女を見抜く能力があるのかもし
 
れないということになるな。 しかし、そんなことを言うはずがないと思ってい
 
たから、何も考えていなかったよ」
 
「では、最初から、あの男を審問に掛けるつもりだったのですね」
 
「これが審問になるかどうかは、あの男次第だ。 自分はただ間違いがあるな
 
ら、それを正したいだけなのだ。 あの男は真実への入り口だ。 あの男をどう
 
やって審問の場に引き出すか、あれこれ考えた結果がこれだった」
 
「一体、何に対する間違いなのです?」
 
「今に分かるさ」
 
「しかし、あの婆さんたちはいい迷惑でしたね」
 
「嫌疑は晴れたからもう大丈夫だと言っておいたよ。 ぶつぶつ言っていたが、
 
料理と葡萄酒でもてなしたら、結構、気が済んだようだったが‥‥、ここの料
 
理人は腕がいいからな」
 
「私はあなたからの頼みで書簡を持って、あちこちの施設を回りましたが、も
 
しかして、あれが異端審問の召還状だったのではないでしょうね。 そうだった
 
ら、私は不幸の使者みたいじゃないですか。 恨まれるのは私なんですよ。 少
 
しは考えて‥‥」
 
「いつまでもうるさい奴だ。 私を先に訊問するつもりか? さあ、もう時間だ。
 
行くぞ」
 
 
 
 一週間というもの、暗い地下牢に閉じ込められていた男は、すっかり憔悴し
 
た様子で審問室に引きずり出されました。 昼間でも薄暗い審問室なのですが、
 
男は眩しそうに目をしばたいています。
 
 エミリオ様は男を前に椅子に付くと、時を移さず審問に入りました。
 
「お前に尋ねる。 お前はこれまでに何度か魔女の告発を行っている。 最も重
 
大な事件は 1641年のものだ。 お前は女教師マルティーナを魔女として告発し
 
た。 審問に掛けられたマルティーナの自白に基づき、魔女の仲間として、同
 
僚のイルヴァ、教婦長マルタ、歌手ジュリエッタ、芸術の庇護者として知られる
 
ロレーラが捕えられ、火刑に処せられている。 お前に魔女を見分ける力があ
 
るというのは偽りであったとするなら、何ゆえこの事件は起こったのか」
 
 男は答えあぐね、床に顔を押し付けて黙っておりました。 答え方を間違えれ
 
ば自分にどんな恐ろしいことが起こるか、それを考えれば、一言も発すること
 
ができなかったとしても何の不思議もありません。 男の心の内を見て取った
 
エミリオ様は穏やかな声で、しかし、背筋も凍りつくような言葉を続けました。
 
そして、その言葉は、この後、審問に引きずり出されることになる多数の人々
 
に対して、最初に必ず使われることになったのです。
 
「よく聞け。 我々、異端審問官の使命は、悪魔と結託する異端を炙り出し、撲
 
滅することにある。 これは神と悪魔との闘いであり、人間の魂を反キリストの
 
手から救うことが目的である。
 
 人の犯した過ちを罰することは、それが信仰の問題でない限りは、教会の役
 
目ではない。 真実を話し、過去に罪を犯したことがあるのであれば、それを悔
 
い改めよ。 そうすれば、お前のしたことが何であれ、教会はお前の魂のために
 
神に祈ることもできよう。 しかし、この期に及んで一言でも嘘を言うのであれ
 
ば、そこには悪魔の意思が働いていると考えざるを得ない。 その時には、お前
 
が悪魔との関係を洗いざらい告白するまで、徹底的に責めることになるからそ
 
う思え。
 
 聞くところによると前審問官のジョットー殿は、非常に穏健な方だったよう
 
だ。 残念ながら、私はジョットー殿ほど気長ではない。 例え、殺してくれと請
 
われようとも、手加減はしない。 背教者に掛ける情けは無い。 悪魔の手先
 
がどのような死に方をしようと気に掛けぬ。
 
 分かったら、覚悟して話せ」