くすぐったい。 | 酔狂の詩(うた)

くすぐったい。

ずっとずっと、大事にしてた本があった。

ページがよれるほどに読みこんで、
ところどころに覚え書きのようなものも書き込んで、
俺のめくりグセや煙草の匂いがついた本。
まごうことなき、俺の本。

でもそれは、家のどこかに仕舞いこんで見つからなくなってて、
どこを探せばいいのか見当もつかないほど行方不明で。

大事な物なのに、なんで失くしたんだろう。
なんで見失ったんだろう。

それとも、本が俺に読まれることを望まなくなったんだろうか。

羽根も足も生えてやしないのに、
俺の大事な本は姿を消してしまったんだ。

その本に綴られていた内容は、1頁ごとに思い出せるくらいに憶えてる。

でも、頭の中で読み返すのと手に持って目で読むのとでは違う。
大きく違う。まるで違う。ぜんっぜん違う。

片時も忘れないほどではないにしろ、
いつ何時でも気にかけてるわけではないにしろ、
考え事や所用がないとき、心に少しでも隙間が空いたときに思い出す。
ふとした拍子に思い出す。

降って湧くように。滲み出るように。

どうせ見つからないからと諦めることなど考えもしなかった。
かといって、何が何でも見つけ出そうという気にもなれなかった。

俺自身が本当にその本が必要になったとき、再び手にとれる気がしたから。
もしくは、本が俺に読まれることをもう一度望んでくれたなら、それがそのときだと思うから。
人の縁と同じように、物もまた縁で結ばれ繋がっているものだと思う。

失くしてから数ヶ月が過ぎたある日、何の気なく本棚を眺めていたときだった。
読まなくなった本しか並んでいない本棚のはずだった。

そこに、失くしたはずの本の背表紙があった。

不可思議だとか謎めいた出来事だとか思うことなど忘れて、
俺はその本を手に取り、1ページ目を開いた。

・・・くすぐったい。

懐かしいってのとは、ちょっと違う。
なぜなら、忘れてなかったから。

なんだか、胸の奥が心地よくってくすぐったいんだ。

いますぐ一気に全部読みきってしまいたい衝動に駆られるけど、
それは堪えておこう。乾き切った喉に大量の水を流し込むようなもんだ。
一滴の水を活かすように、一字ずつゆっくりと大切に読もう。

戻ってきてくれて、ありがとう。