これまでの失敗を、糧にして生きていきたい。
なのに、なんで繰り返すんだろう。
時には取り返しのつかないほどの失敗を繰り返す。
これまで、ずっと辛いことや大変なことからは無意識に逃げて生きてきた。
そしたら、選択肢が全然なくなってて、ようやく覚醒した。
今踏ん張らないとこの先もっと大変になる。
それは仕事に関しても思う。
今までずっと特別な技術を必要としない仕事を選んでた。
仕方ないと思ってた。
だって技術がないから。
そして、学歴もないから。
でも、大変だけど学ぶってことは何歳になっても可能で、意欲さえあれば身に着けることができる。
父が余命宣告を受けもう間際の際に、とにかく私の仕事に関して心配していた。
上手く出ない声を振り絞って、「逃げるな」と言った。
自分も、かつて先輩に言われたのだと。
だから、お前も逃げるなと。
父亡き後に読んだ、入院中に記していた日記には、「やりたい仕事が見つかればいいが…」と書かれていた。
私は発起して、なし崩しで働いていた当時の仕事を辞めて職業訓練を受け、興味のあったデザインに関われるフリーペーパーを作る職についた。
この職につけたのは全くの幸運だった。
しかし、1年後会社が潰れた。
また広告業界につきたいと思ったがグラフィックソフトの具体的な技術もポートグラフも無い私には厳しい道だった。
なので、再度職業訓練を受けた。
本当は、illustratorやphotoshopを習いたかったがそのような訓練がなく、仕方なくHTMLを学んだ。
縁かあったのか、現在はコーダーとして働いている。
その延長線で、デザインもするようになった。
photoshopとfireworkasなら普通に使えるようになっていた。
webよりも紙媒体が好きだったけど、今はコーディングが大好きだ。
コーダーとしては本当に駆け出しで、依頼主や上司が何を言ってるのか、専門用語や暗黙の了解的なことがわからず常にグーグル先生に聞きながら業務を行っている。
そんな状態なのに、会社ではいくつかコーディングの主となって案件を任されるようになっていた。
どうしても自分に自信が持てずに引っ込み思案な私だけど、(そのせいで妙に跳ねっかえって強気風になったりするけど)
何となく、自信がついて来たと思う。
仕事はバックボーンになる。
色々な生き方があるから、みんなそうと言うわけではないけど、少なくとも私はそうだ。
今、この会社をクビになってもいい。
去年の私とは違うのだ。
仕事に…もそうだが、どんなに大変で潰れそうになってもしがみついて頑張って技術を身に着けつつある自分に誇りを持てるようになってきた。
仕事が充実を極めてくると、もっと欲が出てくるものだ。
かねてより、寂しがり屋で不安定な私は伴侶が欲しかった。
だけどここ数年、どうも上手くいかなかった。
惹かれる人は、何故か問題のある人ばかりで、こちらが燃え上がっている間は振り返ってもらえず、
「あれ、冷静に見て見たら、この人おかしいぞ…?」と疎遠にしようとすると異常な執着を見せたりした。
寂しさで盲目になっていたんだと毎回反省していたはずなのに、また繰り返した。
私はとんでもない毒婦なのかとへこみにへこんだ。
依存体質なのがどこかに見え隠れしていたのか、寂しそうだからなんとでもできると思われてしまったのか。
充実した生活の中にふと顔を出す虚しさの穴埋めを、自分で行うことをせずまた外に逃げた結果なんだろう。
あの人の、あんな姿なんて見たくなかった。
だけど、その姿を引き出したのは間違いなく私なんだ。
私のためらいや、気弱な故のいらぬ気遣いが、優柔不断な態度となって、結果誠実さを失ったのだ。
だから、寂しさや焦りに振り回せれないよう今一度整理したいと思う。
向かいたい方向。
欲しいもの。
必要なもの。
無くてもいいもの。
あった方がいいもの。
「欲しい」からと、執着すると、良い結果は招かない。
もう一度、ちゃんと身に刻まなくては。
私は、今とっても恋人がほしいけれど、逃げたいだけなんだ。
鞘に収まりたいとずっと抜き身の剣先を振りかざしてきたけど、そんな妖刀、だれも腰に収めてはくれないのだ。