余命宣告を受けて翌日から、私は無理矢理仕事を休んだ。
休めなければ辞めても良いと思った。
自分の父親の最後に側に居られないなら、仕事なんてしたくない。
そう思った。
宣告を受けた翌日、父は、
「悔しいのぅ」って何回も何回も言って、私の手を握った。
私は強く握り返して、「でも諦めない。奇跡を信じる」って言った。
本心で言った。
そこから約二週間、仕事を休み、毎日父の為に生きた。
父は、
「今日も生きた!明日も元気で会おう!」
と、私達家族が思うよりずっと強く、
死を受け入れ、希望を捨てずに生きた。
側に居る間、たくさん話しをした。
父の半生。
父とそっくりな私にくれた言葉。
今私を支える言葉の数々。
全てくれた。
余命を告げられながら、あんなに穏やかに居られた父の強さ。
クリスチャンであるが故なのか、本人の強さなのか、今はもう分からないけど、
家族全員が救われていたのは間違いない。
死を予感しながら、生きる事もあきらめていなかった。
職場は繁忙期を迎え、忙しさがピークになっていた。
オーナーに説得され、私は仕事に戻る事になった。
ただただ嫌でしかなく、辞めたくて辞めたくて、情緒不安定に陥った。
復帰する前夜の事は忘れない。
帰る前に、穏やかな口調で、
「本当はずっと側に居て欲しいけど、そんな子供みたいな事言わない。
働いて来い。」
そして、私を見つめながら
「お前が頑張らなきゃ、俺も頑張れない。」
今も私の背中を押す、大切な言葉。
本心では、もう辞めてしまいたいくらいに仕事が嫌になっていた。
父の事が無くても、もう逃げてしまいたかった。
そんな事を、父は全て承知だったんだ。
復帰してからの私は、その言葉を胸に、本当に頑張った。
ちゃんと仕事に向き合って働いた。
休んだ分、休まず働いた。
命を懸けて頑張っている父に、情けない所なんか見せない。
出勤時間を遅くして貰い、病院にも毎日行った。
最後の抗がん剤治療は、病気の勢いを抑えてくれて、奇跡を予感した。
けれど途中で中断した。
白血球が無い状態でまた感染したのだ。
常駐菌が原因で、敗血症まで引き起こした。
そして最悪な事にLDHが上昇し始める。
また、寝たきりの体はどんどん衰えた。
ご飯はもうずっと私達が食べさせてあげてた。
でもそれもまた楽しんで、照れながらも嬉しそうに、看護師さんに、
「娘に食べさせてもらってます(照笑)」なんて言ってた。
至上最高にかわいいお父さんになってて、厳しい状況なのに私達を和ませてくれた。
「目標」だった年越し、大晦日は、みんなで父が寝るまで一緒に紅白を見る予定だった。
幸い個室だったので、決行した。
病室のテレビは音が小さくて、厚紙で即席集音器を作り耳元に貼付けてたら、看護師さん達に笑われてた。
おしゃべりだった父は看護師さん達に可愛がられている様だった。
夜はどんどん更けたけど父は全然寝なかった。
大好きな坂本冬美を見る為に頑張ってるんだと思ったけど、
坂本冬美が終わっても、ずっとテレビを見ていた。
ついに紅白が終わって、ゆく年くる年が始まり、2012年が始まった。
「今年もよろしくね!」
と握手をして、
「もう限界…」
とようやく眠りに着いた。
きっと、年越しの瞬間まで起きていたかったんだ。
「目標」目指して頑張ったんだ。
元旦は娘二人、着物でお見舞いに行った。
「見たいなぁ…」って言うならば、着る!
でも、病室に着くと、熱発して悪寒に震えていた。
最早着物どころの騒ぎじゃなく、必死に看病した。
熱が上がりきったら、水をぶっかけた様に汗をかき、何度か寝巻を変えてもらった。
丸一日かけて熱を沈めた。
壮絶だった。
まるで命を削っている様だった。
熱が収まり出した頃、一緒に写真を撮った。
唯一この日、微笑んだ瞬間だった。
着物着て来て良かったと心底思った。
翌日もまた同じ様に熱発した。
主治医の先生が休みで、ひどく不安がっていた。
「先生は!?」
と何度も言ってた。
先生は翌3日にようやく来てくれた。
安心したせいなのか、熱が上がらなくてホッとして仕事に行った。
これが、意識ある父と会った最後だった。
4日朝、敗血症によるショックで血圧が下がり出す。
そしてそのまま、父は天使になった。
何回も言われたお父さんの「頑張れ」って言葉に従事して、私は通夜まで休み無く働いた。
亡くなった当日、仕事が終わり、家に帰らず父の居る葬斎場に行くと、父の顔が、まるで微笑んで居るようで、満足してるようで、号泣した。
「頑張って来たよ~」
って、家族と一緒に泣いた。
通夜まで毎晩繰り返した。
そうして迎えた父の葬儀は、それはそれは美しく厳かで、清浄で、素晴らしく清らかだった。
歌と共に神の家へと旅立つ父を見送るミサ。
ある意味、祝福。
神の家に祝福された父のお骨は、火葬場の人も驚くほど綺麗に頭蓋骨が丸々残ってた。
お父さんだとはっきり分かるほど綺麗に残ってた。
奇跡を生み出す精霊が父を包んでいるのが分かった。
葬儀に来てくれた父の元同僚が話す私の知らない職場の姿は、
見直してありあまる、誇りに思える事ばかりだった。
もう二ヶ月経とうとしている。
私達は、時に泣き、笑いながら今を生きてる。
天使の御加護を一身に受けながら。
休めなければ辞めても良いと思った。
自分の父親の最後に側に居られないなら、仕事なんてしたくない。
そう思った。
宣告を受けた翌日、父は、
「悔しいのぅ」って何回も何回も言って、私の手を握った。
私は強く握り返して、「でも諦めない。奇跡を信じる」って言った。
本心で言った。
そこから約二週間、仕事を休み、毎日父の為に生きた。
父は、
「今日も生きた!明日も元気で会おう!」
と、私達家族が思うよりずっと強く、
死を受け入れ、希望を捨てずに生きた。
側に居る間、たくさん話しをした。
父の半生。
父とそっくりな私にくれた言葉。
今私を支える言葉の数々。
全てくれた。
余命を告げられながら、あんなに穏やかに居られた父の強さ。
クリスチャンであるが故なのか、本人の強さなのか、今はもう分からないけど、
家族全員が救われていたのは間違いない。
死を予感しながら、生きる事もあきらめていなかった。
職場は繁忙期を迎え、忙しさがピークになっていた。
オーナーに説得され、私は仕事に戻る事になった。
ただただ嫌でしかなく、辞めたくて辞めたくて、情緒不安定に陥った。
復帰する前夜の事は忘れない。
帰る前に、穏やかな口調で、
「本当はずっと側に居て欲しいけど、そんな子供みたいな事言わない。
働いて来い。」
そして、私を見つめながら
「お前が頑張らなきゃ、俺も頑張れない。」
今も私の背中を押す、大切な言葉。
本心では、もう辞めてしまいたいくらいに仕事が嫌になっていた。
父の事が無くても、もう逃げてしまいたかった。
そんな事を、父は全て承知だったんだ。
復帰してからの私は、その言葉を胸に、本当に頑張った。
ちゃんと仕事に向き合って働いた。
休んだ分、休まず働いた。
命を懸けて頑張っている父に、情けない所なんか見せない。
出勤時間を遅くして貰い、病院にも毎日行った。
最後の抗がん剤治療は、病気の勢いを抑えてくれて、奇跡を予感した。
けれど途中で中断した。
白血球が無い状態でまた感染したのだ。
常駐菌が原因で、敗血症まで引き起こした。
そして最悪な事にLDHが上昇し始める。
また、寝たきりの体はどんどん衰えた。
ご飯はもうずっと私達が食べさせてあげてた。
でもそれもまた楽しんで、照れながらも嬉しそうに、看護師さんに、
「娘に食べさせてもらってます(照笑)」なんて言ってた。
至上最高にかわいいお父さんになってて、厳しい状況なのに私達を和ませてくれた。
「目標」だった年越し、大晦日は、みんなで父が寝るまで一緒に紅白を見る予定だった。
幸い個室だったので、決行した。
病室のテレビは音が小さくて、厚紙で即席集音器を作り耳元に貼付けてたら、看護師さん達に笑われてた。
おしゃべりだった父は看護師さん達に可愛がられている様だった。
夜はどんどん更けたけど父は全然寝なかった。
大好きな坂本冬美を見る為に頑張ってるんだと思ったけど、
坂本冬美が終わっても、ずっとテレビを見ていた。
ついに紅白が終わって、ゆく年くる年が始まり、2012年が始まった。
「今年もよろしくね!」
と握手をして、
「もう限界…」
とようやく眠りに着いた。
きっと、年越しの瞬間まで起きていたかったんだ。
「目標」目指して頑張ったんだ。
元旦は娘二人、着物でお見舞いに行った。
「見たいなぁ…」って言うならば、着る!
でも、病室に着くと、熱発して悪寒に震えていた。
最早着物どころの騒ぎじゃなく、必死に看病した。
熱が上がりきったら、水をぶっかけた様に汗をかき、何度か寝巻を変えてもらった。
丸一日かけて熱を沈めた。
壮絶だった。
まるで命を削っている様だった。
熱が収まり出した頃、一緒に写真を撮った。
唯一この日、微笑んだ瞬間だった。
着物着て来て良かったと心底思った。
翌日もまた同じ様に熱発した。
主治医の先生が休みで、ひどく不安がっていた。
「先生は!?」
と何度も言ってた。
先生は翌3日にようやく来てくれた。
安心したせいなのか、熱が上がらなくてホッとして仕事に行った。
これが、意識ある父と会った最後だった。
4日朝、敗血症によるショックで血圧が下がり出す。
そしてそのまま、父は天使になった。
何回も言われたお父さんの「頑張れ」って言葉に従事して、私は通夜まで休み無く働いた。
亡くなった当日、仕事が終わり、家に帰らず父の居る葬斎場に行くと、父の顔が、まるで微笑んで居るようで、満足してるようで、号泣した。
「頑張って来たよ~」
って、家族と一緒に泣いた。
通夜まで毎晩繰り返した。
そうして迎えた父の葬儀は、それはそれは美しく厳かで、清浄で、素晴らしく清らかだった。
歌と共に神の家へと旅立つ父を見送るミサ。
ある意味、祝福。
神の家に祝福された父のお骨は、火葬場の人も驚くほど綺麗に頭蓋骨が丸々残ってた。
お父さんだとはっきり分かるほど綺麗に残ってた。
奇跡を生み出す精霊が父を包んでいるのが分かった。
葬儀に来てくれた父の元同僚が話す私の知らない職場の姿は、
見直してありあまる、誇りに思える事ばかりだった。
もう二ヶ月経とうとしている。
私達は、時に泣き、笑いながら今を生きてる。
天使の御加護を一身に受けながら。