緊急入院から1ヶ月。
父は『急性巨核芽球性白血病』だった。
骨髄性白血病の中でも発祥が稀で、予後不良、『M7』という部類。
年齢的に骨髄移植は考えていない。
今日、最初の抗がん剤治療が終った。
病名が告知されたその日、私たちは、たくさんの覚悟が必要なのだと痛感した。
先生が、「白血病です」と言った瞬間は、今も思い出したくない。
その日は、祖母のお葬式だったからみんな疲労困憊で、
緊急入院から、祖母の死、さらに最悪の告知内容で、畳み掛けられてグラグラだった。
何て命は重たいのかと、一時も安心できずに心がザワついていた。
不安で理不尽で悲しくて怖くて怖くて怖くて…。
家族で、本当に支えあって、転びそうになったら引っ張り起こして、ご飯をたくさん食べて、お互いを思って、
それで何とか、みんな立ってた。
父の苦悩は母が受け取り、姉が強烈に背中を押して、私は変わらずお調子者。
バランスの良いスクラムが出来てた。
抗がん剤治療二日目、熱発して、まるで別人のように衰弱した父の姿を見たら、
思わず涙がこみ上げて来た。
お調子者のはずが赤い目をした私を、父は見ていた。
私の動揺はそのまま伝わってしまった。
翌日も熱の影響で具合が悪かったけど、私はもう絶対に動揺したりしなかった。
いつもの調子でおしゃべりすると、かすかに口角を上げてた。
毎日毎日具合は変わったけど、幸い調子は良くなっていた。
昨日は盛岡のソウルフード福田パンが食べたいと言い出して、買って来たら1個分たいらげた。
病院のご飯もたくさん食べた。
そしたら今日はさらに調子が良さそうだった。
個室の病室で、たくさんおしゃべりした。
思わず色々忘れそうになった。
ここからが本当の正念場なんだ。
これから白血球はどんどん減り、感染症の心配が出てくる。
血小板が足りないから出血したら止まらない。
おそらく調子は悪くなるだろう。
もっと悪い事が起こる可能性だってある。
だけど希望を捨てない。
たとえ完治しなくてもいいと思ってる。
とにかくお家に帰る。
お家に帰るんだ。