無題
ファッキントッシュ。
そういえば、最近ね、時間の合間を縫いまくって、音楽やりまくってる。
この間寿司屋で連れと話してたんだけどさー
俺、どうも昔ほど音楽に対する情熱がねーんだよ。
音楽っつーか、物を創ることに対する情熱っつーの?
なんか、普通にだべってるみたいな感じになってちょっとアレなんだけどさ、まぁ聞いてくれよ。
「芸人は、結婚したら終わり」ってよく言うじゃん?
俺もね、ある意味で芸人なんだよ。
笑いをとるとかそういう芸人じゃなくて、いわゆる芸事をするっていう意味では、あるいはパフォーマンスをするという意味では、物を創るという意味では、ミュージシャンも芸人なんだ。ミュージシャンと名乗ることには食いたてのパスタがうんことなって口から出てくるくらいの嫌悪感と違和感を覚えるんだけど、芸人と名乗るのはアリかなーと思うくらい。そんくらいの意識。そんくらいの混濁した意識。
まぁ、まだ結婚してないけど。
でも、なんかそういうことよ。
結婚するってことは、要は落ち着くってことでしょ?
大切なものができるということだ。
それはきっと、芸よりも大切なことだ。
たとえば最愛のパートナー、あるいは子供。
こういう存在は、やっぱ人にとっては一番大切じゃん。
芸事以上に大切なものができれば、そりゃ芸事意外のものに目が向くのもやぶさかでない。
それが人情ってもんよ。
今の俺は、まさしくそういう状態にある。
結婚しているわけでもなく、子供がいるわけでもないけど、まさしくそういう状態にあるような気がする。
要するに、生活が満たされすぎている。
黙っていても幸せなもんだから、わざわざ何かをして充実感を味わおうと思わねーんだろうな。
ギター食うのは好きだ。
でも、寿司を弾くのも好きだ。
こういう意味のわからない誤字を秒単位で連発できるくらい、気持ちが満たされているわけ。
人間、満たされたら終わりっつーけど、よく考えてみると、そもそも俺にはもともとハングリー精神なんてなかった。
俺がライブやったり音源配布したりしていた理由って、それを観たり聴いたりしてくれる人がいたからだ。
今もそう。
まぁ、正味アクセス解析とかケチなことなんてよーせんから、どれだけの人が配布音源を聴いてくれているのかまったく知らんのだけども、それでも聴いてくれる人がいる限り、これからもどんな形にせよ発表はするんだろう。
ただ、人生にはさまざまな喜びの形がある。
「シッキー、腑抜けたな」と言われてもかまわねぇ。
だって、幸せなんだもん!
俺の人生、たいがい幸せだったけど、今が一番幸せだ。
歳をとるにつれて、幸せ度がどんどん上がっていく。
相対的に、創作の価値ってのが下がってきたんだろう。
まぁ、それだけ楽しいことが増えてきたってことだ。
「歳をとると喜びが減っていく」とほざく人間が少なからずいることを思えば、今の自分を十分好意的に解釈する理由はある。だから、こういう腑抜け方なら、俺は大歓迎だ。
まぁ、物創りをやめることはない。
皮肉なもんで、昔よりも今の方が自分らしい音楽ができている。
肩の力が抜けたってことだろうか。
テキトーになればなるほど、自分らしさが際立っていく。
これは、単純に音楽性としては理想的な兆候であり傾向だ。
音楽を創ることも、それ以外のことも、俺にとっては生活の一部だから、生きている限りはやっているんだろう。これから、もっと自分らしさを洗練させていきたいという思いはある。すげーある。東京ドーム三個分くらい。
ただ、思春期の頃のような自己顕示欲はないし、
二十代前半のときのようなメッセージ性はない。
かと言って、それ以降の「楽しければいいや」という割り切りにも似た感情もなくて、
今はただ息をするように音楽をしている。
しかしだ、
ここ最近、目的を持って音楽ができている。
だから、ちょー楽しいわけよ。
興奮して、スリリングで、音楽を通して生きる実感を味わうのは久しぶりだ。
連日、エアコンのない音楽部屋にこもりながら、汗だくだくになってギター弾いたりピアノ弾いたりドラム叩いたり歌ったりしてる。
汗かきすぎて、一日のうちにシャツを四枚も消費する日もある。
でも、それがすごく気持ちよくて、充実している。
あのな、俺が言いたいのはたった一つ。
人間、汗かいただけじゃ痩せねぇな!
じゃ。
そういえば、最近ね、時間の合間を縫いまくって、音楽やりまくってる。
この間寿司屋で連れと話してたんだけどさー
俺、どうも昔ほど音楽に対する情熱がねーんだよ。
音楽っつーか、物を創ることに対する情熱っつーの?
なんか、普通にだべってるみたいな感じになってちょっとアレなんだけどさ、まぁ聞いてくれよ。
「芸人は、結婚したら終わり」ってよく言うじゃん?
俺もね、ある意味で芸人なんだよ。
笑いをとるとかそういう芸人じゃなくて、いわゆる芸事をするっていう意味では、あるいはパフォーマンスをするという意味では、物を創るという意味では、ミュージシャンも芸人なんだ。ミュージシャンと名乗ることには食いたてのパスタがうんことなって口から出てくるくらいの嫌悪感と違和感を覚えるんだけど、芸人と名乗るのはアリかなーと思うくらい。そんくらいの意識。そんくらいの混濁した意識。
まぁ、まだ結婚してないけど。
でも、なんかそういうことよ。
結婚するってことは、要は落ち着くってことでしょ?
大切なものができるということだ。
それはきっと、芸よりも大切なことだ。
たとえば最愛のパートナー、あるいは子供。
こういう存在は、やっぱ人にとっては一番大切じゃん。
芸事以上に大切なものができれば、そりゃ芸事意外のものに目が向くのもやぶさかでない。
それが人情ってもんよ。
今の俺は、まさしくそういう状態にある。
結婚しているわけでもなく、子供がいるわけでもないけど、まさしくそういう状態にあるような気がする。
要するに、生活が満たされすぎている。
黙っていても幸せなもんだから、わざわざ何かをして充実感を味わおうと思わねーんだろうな。
ギター食うのは好きだ。
でも、寿司を弾くのも好きだ。
こういう意味のわからない誤字を秒単位で連発できるくらい、気持ちが満たされているわけ。
人間、満たされたら終わりっつーけど、よく考えてみると、そもそも俺にはもともとハングリー精神なんてなかった。
俺がライブやったり音源配布したりしていた理由って、それを観たり聴いたりしてくれる人がいたからだ。
今もそう。
まぁ、正味アクセス解析とかケチなことなんてよーせんから、どれだけの人が配布音源を聴いてくれているのかまったく知らんのだけども、それでも聴いてくれる人がいる限り、これからもどんな形にせよ発表はするんだろう。
ただ、人生にはさまざまな喜びの形がある。
「シッキー、腑抜けたな」と言われてもかまわねぇ。
だって、幸せなんだもん!
俺の人生、たいがい幸せだったけど、今が一番幸せだ。
歳をとるにつれて、幸せ度がどんどん上がっていく。
相対的に、創作の価値ってのが下がってきたんだろう。
まぁ、それだけ楽しいことが増えてきたってことだ。
「歳をとると喜びが減っていく」とほざく人間が少なからずいることを思えば、今の自分を十分好意的に解釈する理由はある。だから、こういう腑抜け方なら、俺は大歓迎だ。
まぁ、物創りをやめることはない。
皮肉なもんで、昔よりも今の方が自分らしい音楽ができている。
肩の力が抜けたってことだろうか。
テキトーになればなるほど、自分らしさが際立っていく。
これは、単純に音楽性としては理想的な兆候であり傾向だ。
音楽を創ることも、それ以外のことも、俺にとっては生活の一部だから、生きている限りはやっているんだろう。これから、もっと自分らしさを洗練させていきたいという思いはある。すげーある。東京ドーム三個分くらい。
ただ、思春期の頃のような自己顕示欲はないし、
二十代前半のときのようなメッセージ性はない。
かと言って、それ以降の「楽しければいいや」という割り切りにも似た感情もなくて、
今はただ息をするように音楽をしている。
しかしだ、
ここ最近、目的を持って音楽ができている。
だから、ちょー楽しいわけよ。
興奮して、スリリングで、音楽を通して生きる実感を味わうのは久しぶりだ。
連日、エアコンのない音楽部屋にこもりながら、汗だくだくになってギター弾いたりピアノ弾いたりドラム叩いたり歌ったりしてる。
汗かきすぎて、一日のうちにシャツを四枚も消費する日もある。
でも、それがすごく気持ちよくて、充実している。
あのな、俺が言いたいのはたった一つ。
人間、汗かいただけじゃ痩せねぇな!
じゃ。