無題
こんあんあ、シッキーです。
最近、暑くなってきましたね。
外に出ると夏の匂いを感じたりして、いよいよ僕の大好きな季節の到来を実感させてくれます。
夏と言えば、やっぱり心霊でございます。
オカルト大好きな僕にとっては、もっともテンションの上がる季節。
ただ、
僕はいわゆる“零感”ってやつで、霊感がまったくございません。
と言うか、
まず幽霊を信じてもいないし、まぁ、否定するわけではないですけど、心霊ってのは完全にエンターテイメントとして楽しんでいます。
幽霊の存在の是非を議論し出すとそれこそキリがないので細かいことに言及はしませんが、ただね、そんな僕にも不可思議な体験というのはありまして。
これは、今まで誰にも話したことのない話です。
というのも、ある意味でその体験がトラウマになっているというか、今まで必死に忘れようとしていた自分がいました。
思い出すのも恐ろしいというくらいの体験だったのですが、やっぱり月日が経つと恐怖心というのは徐々に克服されてくるもんで、今になってようやく平然と語れそうな気がするのです。
それでもやっぱり誰かと面と向かい、自分の言葉でかつての恐ろしい経験を語るのは少し気が引けるというか、あまり話したくないので、ブログで文字を介してお話ししようと思います。
恐い話が嫌いな人は、ここから先の文章は読まないことをオススメします。
それは、僕がまだ小学生だった頃の話です。
三、四年生くらいでしょうか。
僕の祖父というのが牧師をやっていまして、教会と保育園の運営(管理?)をしていました。
祖父母の自宅と保育園と教会が同じ敷地内に併設されているという感じです。
ですから、田舎の祖父祖母の家に遊びに行くと、僕は決まって保育園の中とか、教会の中とかで遊んでいました。
祖父母は、当時僕が住んでいた街から車で四時間ほどの田舎に住んでいましたから、あまりしょっちゅう遊びに行っていたわけではありません。年に四、五回程度でしょうか。それだけに、祖父母の家に遊びに行くのが幼い僕にはずいぶんな楽しみでした。
教会と言っても郊外にあるような小さな教会なんですが、やっぱりああいうところって、色々な人が訪ねてきます。
幼い頃の僕にはわかりませんでしたが、今考えてみるとホームレスのような人が訪ねてきたり、悩みを抱えているような深刻な表情の人が訪ねてきたり、あるいは得体の知れない外国人が訪ねてきたり、ミサに通うと言うよりは、何か事情を抱えているような風貌の人が多かったように思います。
僕が祖父母の家に遊びに行くのは大体のところ週末か連休で、当然保育園は休園となっていました。
ですから、保育園の貸し切りのようなものです。
おもちゃも遊具もいっぱいありますし、なんせ、自分一人(と弟)ですべての遊具を独占できるというだけで、ずいぶんな優越感。
広い遊戯室で走り回っているだけで子どもってテンションが上がるものです。
いつもと変わらず弟と遊戯室で走り回っていたある日、
走っている最中に弟が急に僕に泣きついてきました。
たった今までキャッキャッと笑いながら走っていた弟が、突然何かから逃げるように僕の方へ「わあああ!」と泣きながら向かってきたのです。
当時、弟は四歳とか五歳とか、そんなもんです。
当然僕は何が何だかわからずに「ど、どうした?」となるわけです。
遊戯室には、大きな鏡がありました。
大人の人間二人分はすっぽりと入るような大きな鏡です。
弟が言うには、その鏡の中に女の子がいた──と。
そのときはあまり気に留めませんでした。
で、まぁ、
めんどくさいから色々とはしょりますけど、
その女の子って、僕、知ってる子だったんですよね。
祖父母の家に一番よく遊びに行っていたのは、僕がもっと小さかった頃です。
弟が生まれるか生まれないかの時にも、母が大きなおなかを抱えながら、「もうすぐ生まれるよー」なんてたまに祖父母に報告しに行っていました。
だから、僕自身はおそらく小学校低学年、くらい?の頃です。
ちょうどその頃、祖父母の家に遊びに行った時によく遊んでいた女の子がいたんです。
名前はミユキちゃん。
苗字は忘れてしまいましたが、とにかく祖父母の家に遊びに行くと、いつもミユキちゃんと遊んでいました。
ただですね、
ちょっと気になるのが、
そのミユキちゃんの存在を、今は誰も知らないんですよね。
僕の父も、母も、祖父母も。
僕は「近所の子だろう」なんて認識でしたが、思い返してみると、一緒に貸し切りの保育園の遊戯室で遊んだりしていたんですよ。
おかしいですよね?
休園日に一緒に遊んでいるんだったら、少なくとも祖父母はその子のことを知っているはずなんですよ。
だけど、誰も知らない。
僕はその子のことをよく覚えています。
髪の毛は長めで、前髪はぱっつん。
あまり快活そうな子ではなく、どちらかと言うと人見知りをしそうな印象でした。
一緒に積み木で遊んだり、オママゴトもしました。
ただ、祖父母の家に遊びに行くことなんて年に数回ですから、祖父母の田舎へ遊びに行く回数が減ると同時に、ミユキちゃんのことも忘れていきました。
そんで、ずいぶんと時間がたって、
僕も成人して上京し、仕事にも慣れてきた頃。
僕、ミユキちゃんと再会したんです。
自宅の風呂場で。
あの、
風呂にお湯を溜めて「さーはいろ」って風呂場に向かったら、なんていうんですか、スモークって言うの?風呂場のドアって、向こう側がはっきり見えないけど、なんとなく見えるみたいな感じになってるじゃないですか。そのスモーク越しに、ミユキちゃんがいたんですよ。
これ、なんでミユキちゃんってわかったのか自分でもよくわからないんですが、とにかくはっきりそこに“子ども”が存在して、立っていて、それがミユキちゃんであることもわかったんです。
百歩譲ってミユキちゃんじゃなかったとしても、明らかに子どもが立っていたんですよ。
黒くて長めの髪の毛に、当時よくミユキちゃんが着ていた白いシャツに茶色(?)っぽいスカート。
さすがに僕も「うわ」ってなったけど、何度見ても絶対風呂場の中に子どもが立ってるんですよね。
たぶん、けっこー長い時間見つめてました。
恐かったけど、恐い以前に「人がいるはずない」という気持ちの方が強くて、それでもドアを開けて確認する勇気もなくて、しばらく見てました。
でも、まぁ結局その日は風呂入らず。なんとなくシカトしてそのまま寝ました。
ただ、この出来事でミユキちゃんのことを鮮明に思い出したし、やっぱ自宅の風呂に子どもが立っていたなんてのはどう考えても普通のことじゃないから、まずは実家に電話したんです。
電話に出たのは母です。
「ねぇ、俺が小さかった頃、よくじじばばんトコに遊びに行ったじゃん。そん時にさ、俺がよく一緒に遊んでいた女の子がいたの覚えてる?」
母「知らないよ、誰のこと?」
僕も「そんなわけねぇ」って食い下がったけど、
父も「記憶違いだろ」、と。
多分同じ日だと思いますが、祖父母にも久しぶりに電話をしてこの話をしました。帰ってくる答えは言わずもがな。
ここで、誰もミユキちゃんの存在を知らないことが発覚しました。
もう、自分中でも色々よくわかんなくなって、その後、実家に帰省した時に祖父母の田舎に行ったんですよ。行けば何かを確認できると思って。
で、
まぁ、なんだかんだあってたどり着いたのが、“深雪地蔵”ってやつです。
祖父母が住んでいるこの辺りの地帯って、北海道ってこともあって、けっこー冬は厳しいんです。普通に雪がガンガン積もるし、田舎だから道路だって整備もされていないし、当時はまだ各家庭にエアコンがあったわけじゃない(今はどうか知らないけど)し、冬を乗り越えるってのは、祖父母のような年寄りにはけっこー厳しいことだったらしいです。
ただ、子どもにはその環境がもっと厳しくて、極寒の地で生まれたばかりの子が寒さで亡くなってしまったり、あるいは小さな子どもが外で遊んでいたら、雪で視界がなくなって帰れなくなり、そのまま──なんてこともあったそうです。そういうことが起きないようにという願いと、亡くなった子どもを供養するという気持ちを込めて、町の外れにある祖父母の家の近くに“深雪地蔵”が設置されたとのことです。
まぁ、言うまでもなく「ミユキ地蔵」と読むのですが、
その地蔵がね、普通の地蔵と違って長髪で、前髪がおかっぱで、スカートを履いているように彫られているものなんですよね。
まぁ、ミユキちゃんそのものだったんですよ。
祖父に僕の体験を話したら、深雪地蔵が設置されたのは、本当はある事件がきっかけだったということを話してくれました。
この地蔵、「冬の事故を防ぐことを願って」という名目の上に設置されたものらしいのですが、本当は違う理由で設置されたらしいのです。
祖父いわく、
ちょうど僕が父母に連れられて祖父母の家に遊びに行くようになる前、子どもを捨てるという事件があったらしいのです。
その町は、町というほど立派ではありませんでしたし、貧しい人も昔は多かったといいます。
おそらく経済的な理由から、子どもを育てられないという母親が、その昔、極寒のその地に子どもを捨てました。
冷え切って息絶えているその子が発見されたのが、ちょうどその地蔵が置かれている場所。
その子を捨てた母親は失踪し、やはり後に遺体として郊外で発見されました。
田舎では、とても衝撃的な事件だったと言います。
そして、その捨てられた子がミユキという名前であったことも話してくれました。
地蔵の名前も風貌も、その子にちなんだものだそうです。
もう数年が経ちますが、僕はそのお地蔵さんに線香を立てて、手を合わせて、一応供養したつもりでいました。
よく、霊って供養すると成仏するって言うじゃないですか。
だから、供養するつもりでそういう行為をしたんですけど、
これって、本当に意味あるんですかね。
あのね、
その後も風呂場のドア越しに、女の子を何回か見ているんですよ。
最後に見たのはずいぶんと前で、それこそ東京を離れてからは一度も見ていませんけど、
僕、
こういう性格ですから、
当時持っていた携帯で写メを撮ったんです。
あのね、
なんで今日こういう話をブログで書いたかと言うと、
その写メを保存しておいたUSBメモリーをね、
昨日、納戸を整理していたら発見したんですよ。
で、
「写真まだ残ってんのかなー」なんて確認してみたんです。
ほら、
心霊系でよくある話でさ、
時間が経つと写真が変わるとか、
映っていたものが消えるとかあんでしょ。
でも、
写メを撮影したときのまんま、
ミユキちゃんの写真が残っていたんですよね。
さすがデジタル。
その写メを、ここで公開したいと思います。
見るか見ないかは、本当、自己責任でお願いします。
けっこー鮮明に映ってるし。
正直、僕も最初はファイルを開くのを躊躇しました。
「でもまぁ、大丈夫だろ恐くない恐くない」なんて気持ちで意を決してファイルを開いたら、ばっちりあの当時のまんまの映像が残っていて、「うわぁ」なんて思った次第です。
霊障がどうとか、祟りがどうとか、そういうのは僕には本当にわかりません。
もしかすると、こういう写真ってネットで気軽に公開していいものじゃないのかもしれません。
ただね、僕自身は別にこの写真を保管してあったことによってどうにかなったわけじゃないし、そもそも「霊を信じない」というスタンスですから、せいぜい「まぁ大丈夫っしょ」くらいの認識です。
ですから、
この写真を見て何か変なことになっちゃったとしても、
自己責任ということで。
見たくない人は本当に見ないでください。
見たいという人だけ、先に進んでください。
ちなみにこの写真を撮影したのは、今からおよそ6、7年前くらいだと思います。
マンションで一人暮らしをしていた頃です。
風呂場に立つミユキちゃんを初めて目撃して、それから数日後にまた立っていたので「撮影しちゃえ」なんて思って携帯で撮影したものです。
ただ、その時のことをよく覚えていますが、やっぱり気持ち悪いものは気持ち悪いですから、携帯の画面を確認しないで撮影しました。携帯だけを別室のドア越しから風呂場に向けて、「これで映るだろ」なんて思いながら画面を確認せずに撮影したんです。
まぁ、
思いのほか映り過ぎてます。
撮影した直後、その撮影した映像を確認してヘコんだ記憶があります。
というわけで、
前置きが長くなりましたが、
僕が生涯で唯一撮影したおぞましい心霊写真をここに公開します。
念を押しますが自己責任で。
写真を見たい人は、ココ
をクリックしてください。画像ファイルが開かれます。
どうですか?ものすっごハッキリ映ってるでしょ?
写真だけでもこれだけハッキリしてますが、実際はもっとハッキリと言うか、もう、明らかにそこに子どもがいたんです。わかってもらえると思うけど。
ただ、ドアを開ける勇気は僕にはありませんでしたし、しばらくほうっておくといなくなっているので、翌朝になって普通に風呂に入ったりしてました。これが幽霊なんだという確証はありませんが、少なくともそこにありもしないものが何か存在し、それが写真にも残った。つまり、物質的に何かが存在していたことは確かなんだと思います。
この出来事があってから、僕は夏になるとミユキちゃんを思い出します。
そして、心の中で「安らかに眠ってください」と願うのです。
PS:
そういえば、写真には念が宿ると言います。
ミユキちゃんが風呂場に立たなくなったのも、ちょうどこの写真を撮影してからです。
僕の考えでは、撮影時にミユキちゃんの念が写真へと移って僕の携帯電話の中に保存され、さらにそれがUSBメモリーの中に移されたのではないかと思っています。
今回、このUSBメモリーをパソコンにつないで画像を読み込みましたが、これを機にメモリースティックからもパソコンからもこの写真を完全に削除するつもりです。
ミユキちゃんの念の行き先は、、、
おそらく、画像ファイルを開いたあなたの携帯電話もしくはパソコンの中……
※この物語はフィクションです。