大切なもの
「もし一人で生きていくとしたら、自分で野菜を育てて、狩りをして、動物の皮を剥いで内臓を取り、食べられるものと食べられないものは自分で見分け、贅沢など言わず、生きるために必要なことだけに専念しながら毎日を過ごさなければならないんだなー」
と、
ふと思った。
社会というシステムがあまりにも素晴らしく機能しているこの国にいると、ついつい自分が社会に属さず、誰の助けも得ずに生きているように勘違いしてしまいそうになるときがある。
でも、
たとえば肉を食べるにしても、
動物をと殺して食用に加工してくれている人がどこかにいるから、
僕らはスーパーで肉を買って食うことができるわけだ。
着ている服にしても、
履いている靴にしても、
自分で作ったわけじゃない。
当たり前のように物を買ってそれを使っているけど、
それって実は当たり前のことではないということは忘れてしまいがち。
そういった社会的な繋がりが当たり前のように存在しているから、
「現代の日本人は物のありがたみや感謝の気持ちを忘れている」と言われるのかもしれない。
逆に考えると、
そこまで当たり前のように文化や流通やインフラが整っているこの国って、
やっぱり凄いと思う。
話は変わるけど、
学生がお金を貯めて、
ようやくゲームソフトを買った時の喜びも、
金持ちがフェラーリ買った時の喜びも、
実は大差がないような気がする。
この間、「シッキーはクリスマスプレゼントは何が欲しい?」と聞かれ、
色々と考えたが、
結局最終的に辿り着いたのは「かっこいい空き缶」だった。
アクセサリーや時計、
洋服や楽器、
僕が欲しがりそうなものなんて世の中にたくさんあるけど、
今僕が一番欲しいのは、おそらくかっこいい空き缶だ。
埋立地に転がっているようなペンキの空き缶とかね、
錆びかかっている空き缶とか。
スパムの空き缶なんかもかっこいい。
何に使うのかよくわからないけど、
かっこいい空き缶って何だかワクワクする。
おかしな話だ。
アクセサリーとか洋服の方が絶対に価値はあるのに、
今の僕にとってはかっこいい空き缶の方が価値あるものに感じられる。
喜びや嬉しさの指標って、
結局本人の価値観に依存するものだ。
たとえ今、ギブソンの高価なギターを手に入れたとしても、
子供の頃、正月にお年玉をもらった時の興奮や喜びには到底届かない。
人によってできることとできないこと、
買えるものと買えないものの違いはあるけれど、
感情的な振り幅って、必ずしもお金に比例しない。
このことを定期的に再認識しないと、
物事の価値観が狂ってしまいそうになる。
だから、
「自分にとって本当に大切なものって何だろう」と、定期的に自分に問いかける。
結局、大切なのは人との繋がりとか、
助け合いとか、
善意とか好意とか感謝とか、
そういうところに行き着く。
お金はあるに越したことはないけれど、
あるから人生の喜びが大きくなるというわけでもない。
この辺勘違いしてしまうと哀れな人間になってしまいそうで、
哀れな人間になりたくない僕は、
哀れじゃない人間になろうとほんの少し善良振った気持ち悪いエセ人間やってる。
たまーに、人の泣き言を聞いたり、
困っている人を助けようとしたり、
ゴミ拾いをしたりもしている。
使命感はないし、優越感もない。
ただ、
それだけで自分が誰かのためになったような気持ちになり、
いい気分になる。
でも、
それは誰かのためにやっているのではなく、
自分のためだ。
「偽善者」と言われることに抵抗はない。
自覚してるからね。
ただ僕は、
自分にとって大切だと思えるものを、
本当に心から大切にできる人間になりたいと思う。
そのための努力は、
しないよりもした方がいいに決まってる。
自分にとって大切なものだから、
自分がそれを大切にできているとは限りません。
少なくとも僕はそうだった。
だから皆さんも、
自分にとって本当に大切なものが何なのかを知り、
それを大切にできているかどうかを自分に問いかけてみてください。
意外と当たり前のように存在している身近なものが、
大切に思えたりするもんよ。