当たり前のこと
時間って漠然と過ぎていくけど、
人生は漠然と過ぎてはいかない。
この矛盾性と言うか、
やっぱり人って時には漠然と時間を過ごしたくなる時があるじゃないですか。
疲れた時とか、色々なことを忘れてしまいたい時とか。
で、漠然と時間を消費しても、
結局それって記憶に残されて、人生の軌跡の一つとなってしまう。
人生には空白の時間なんてねーんだなーってことを実感すると、
時間って無駄にできねぇなーと思う。
こういう感傷に耽っていると、
何となく人生哲学的な、ちぃとばっか小難しいこと考えてる俺ってカッコイーみてーなふざけた優越感に駆られたりするけど、結局それって思考とか理性とか感情とかを持って生きている動物の必然で、必然の輪の中で必死に外に出ようとしている小動物のような感傷に浸っているだけに過ぎないんですよね。
蟻んこだって同じことを考えているかもしれない。
あるいは、
キャベツの方が人間よりも理性的──なんて話もあるかもしれない。
結局人って、どれだけ賢そうなことを考えて、
それで自尊心を満たしたとしても、
自分に考えられるもの以上のものは考えられないし、
自分にできること以上のことはできない。
まぁ、言葉って不思議なもんで、
こうやって書くだけでそこそこの、それなりの、それっぽい感じで雰囲気を彩ることができるけど、
要するにそれって遠回しに言っているだけと言うか、
「生きるってことは心臓が動いているってこと」みたいな。
「ご飯は食べるもの」みたいな。
当たり前のことを当たり前じゃなく言えば、
なんか当たり前じゃないことを言っている人みたいな感じになる。
でも、よーく見てみると、
世の中には当たり前のものしかない。
新種の生き物を見つけても、
「それはお前とか俺とかにとって新種ってだけだろ」ってなだけで、
自然界では当たり前のように存在していたものなんだろうし、
それと同じように、
人間である限りはどんな言葉も当たり前のように存在している。
文章的な表現って、
当たり前のことを当たり前じゃないように言ってるだけで、
それでも人って、時に賢い振りをしてみたくなったりもして、
感情を除外すれば表現なんて超短絡的になるけど、
感情なくして人らしい表現なんてできねぇっつー一面もあり、
何が何だかわからねぇ。
そうして物事を考えていると、
どんな言葉でも新鮮味を失うから不思議だ。
そして、もっと不思議なのが、
日々直面する目の前の現実を、当たり前だと思うようになったら人はおしまいだってことだ。
驚きや、感動や、感激って、当たり前じゃねーから生じるんだもんな。
人って面白いよね。
矛盾してるし、スマートじゃない。
まぁ、それも人として当たり前のことなのかもしんねーね。