ドナーのすすめ
死というのがリアルなのは、
生きているうちだけなんですね。
そんでまた、
死は絶対にリアルになりえないという矛盾も孕んでいるわけです。
これはつまりどういうことかと言うと、
「死についてリアルに考えること」というのは生きているうちしかできなくて、
その生きているうちの想像力が死をリアルなものにするんです。
ところが、
誰もが死を経験するのですが、
死を経験した瞬間、人間は死んでますから、
厳密に言うと、死を経験する人間というのは存在しないに等しいんですね。
死は知覚し得ないわけですから。
つまり、「0(ゼロ)」は存在するけど、それは存在し得ない──と似たようなもんです。
で、前置きが長くなりましたが、
僕はね、ドナー登録とか角膜移植とかそういうのを、みんなするべきだと思うんですよ。
ドナー登録にもなんやら色々あるらしいんですが、
たとえば脳死状態になった時。
これは非常に判断が難しい。
脳死になっても、万が一の奇跡を信じて、身内に経済的、生活的負担を負わせながらも生きながらえるか、もしくはいっそ自分の体を苦しんでいる人に提供して人生に幕を下ろすか。
この辺はまぁ人それぞれだと思います。
でもね、
「死んで体を提供するとかイヤだー」とか言ってる奴をね、
僕は理解できないんですよ。
なんで!?
って思うんですよ。
そうでしょ!
だってさ、ゴミの日にゴミを外に出してやで、
「あー私のゴミ持ってかんといてやー!」って収集車に言う奴なんておらんでしょ!?
体も結局、死んでしまえばゴミ同然ですよ!
燃やして処分してしまうんですからね!
でも、それを再利用することで誰かが助かる!
何がイヤなの!?という話です!
今、生きている今死をリアルに考えるからイヤなだけであって、
死んでしまったお前には死はアンリアルなんやで!という話ですよ!
意味がわからんもん!
気持ちの問題!?いやいやいやいや、気持ちなんてあらへんて。死んでますがな!
まぁ、
そういうわけでね、ドナーカードを皆さん、持ち歩きましょう。
サイフの中に入れて持ってるだけでいいんですよ。
カードにね、私は体のどこどこを提供しますーって印をつけるとこありますからね、そこ全部印つけてね、そんでサインして持って歩いとったらいいんですよ。
僕はいつもサイフ入れてますよ。
もーかれこれ何年くらいだろ。
成人してすぐくらいにもうドナーカード持って歩いてましたからね。
かなり経ちますよ。
もうカードがボロッボロですよ。
でもね、もし僕が車にバーンやられて、死んだとしましょう。
そうしたらホラ、サイフの中にそのカードを入れておくことによって、
誰かが助かるわけです。
リサイクルの精神ですわな!
だからドナーカード、皆さん持って歩きましょう。
ただな、これだけは言っとく。
お前らな、
お前らの体は誰かの体に代用できるんじゃ。
でもな、
お前らの人生は代用きかんのじゃ。
だから精一杯生きなあかんねんで。
精一杯生きなあかんねん!