筒井康隆氏の小説『残像に口紅を』

 

 初めて読んだ時「そんな手法があったのか」と驚愕した。

 

 世界から音が一つ一つ消えていくというアイディアの中、その制約をどうかい潜って小説ならしめたのか、という興味から、何度か読み返した。2017年にSNSで話題となり、リバイバルブームとなった時も読み返した。

 驚嘆すべきは、音が消えるにつれて主人公の周囲から人や物がどんどん消えていき、その事をテクストで表現することが難しくなっていくにつれて、それに苦悩する主人公の姿が鮮明になっていく事だ。第三部の、使える音が残り8音位になってからの、もはや会話として成立させるだけの音が残っていないので、主人公の、ある意味で摩訶不思議な行動の描写には鬼気迫るものがある。仮に「世界から音が消えても小説の文章には使っても良い」というルールにしたとしても出来るものではない。着想から完結に至る道筋は凡人の能力を遥かに超えている。どうにかしてその極意の一部でも知りたいものだ。

 

 小説内で最初に消えるのは50音表の先頭にある「あ」。小説の最後、66番目の章で50音表の末尾にある「ん」が消え「世界には何も残らない」と締めくくられる。この間の音が消える順番は匠の技としか言いようがない。

 最後の一つ前、65番目の章は、たった一言『ん。』だけだ。が、主人公は最後まで人間らしい理性を維持して、世界が言葉を失う即ち世界が消えるところに到達出来たというのは何回読んでも感無量だ。

 

 かねてより「どうやって書いたんやろ」とは思っていたが、自分が作者の側ならどうするか、という視点を持ってSIMS4でプレイしてみたら何かヒントが得られるかもしれない、と思いついた。

 

 プレイの構想は以下の通り。

 

(1)1日一音ずつが消え、これに応じてシムと区画を消す

 

 ゲーム内時間の毎朝8時に、シムの世界からひとつづつ音が消える。同時にその音を持つシムと区画が消える。世帯、BB/CASアイテムは対象外。アイテムを対象にしても良いのだが、アイテム名を調べるのが大変だ。CASとBBを触ることで終わってしまう。それにCASアイテムの使用を順次禁止して、シムの着る服が何もなくなったらどうするのか。それこそ「猿の惑星」のようになってしまうと思い、今回は見送ることにした。

 シムが死ぬとその場に居合わせたシムに深い悲しみ、意気消沈のバフが付く。家族や愛するシムの死だと2日間持続する。が、シムの削除を使うと、残されたシム達は何事もなかったかのように生活を送る。こちらの方が小説に近い。主人公は朧げな記憶に戸惑いながらも、それはなかったこととして扱われる。そこに深い苦悩を感じ取るのだが。

 消えた音を持つ区画は更地にしていく。公共区画であっても更地にする。ベースゲームのプリメイドで言うと、初日にゴス家、BFF、ルーミーズがホームレス世帯になる。が、ホームレスでも生きていける。ランドグラーブ家は初日に世帯も区画も消滅する。

 上記は「名門の家が次々に廃れ、代わりに移民が多く流入するようになった」というストーリー導入想定にすれば大丈夫だろう。日々量産されるであろうNPC達は「新たにやってきた移民達も新しい土地になじめず、すぐにこの地を去っていくようになった」とでもすれば良い。さて、ここからどうやってニューフロンティアとして立て直すか、とすればゲームの攻略目標も立てられそうだ。自シムさえ消えなければ。

 

(2)音が消える順序とルールは原著の通りとする。

 

 ルールは小説の冒頭で、主人公と文芸評論家の友人との会話という形で提示される。消す順番は読み進まないとわからない。が、ルールはwikiにも掲載されている。

 シムの世界は長音、拗音の多い外来語だらけだ。長音の引きも同時に消すというルールは、「あ」が消えると「ファ」も「ラー」も消える。縛りとしては相当きつい。ベースゲームに登場するシムと区画を使って、小説の通りに消していくと、いつプレイが続行困難になるのか事前に調べてみた。

 

(3)ベースゲームのプリメイド・シムは44日目に全員消える

 

 小説の順序通りに1日一音ずつ消していくと、ベースゲームのプリメイド・シムは初日に半数近くに減り、最後の一人も44日目に消える。

 プリメイドのシムが足りなくなればゲーム側でNPCを量産する。が、NPCも音のルールに従う必要があり毎朝8時に消すことになる。この繰り返しになるだろう。問題は自シムの命名だ。自シムが消えればゲーム自体が終了する。

 

(4)ベースゲームの区画は38日目に使えなくなる

 

 最初の5日で約半数が使用不可となり、最後の一区画も38日目に使えなくなる。公共区画は8日目に全て消滅する。

 こちらの方がきつい。自シムは必ず区画に入居させないとプレイできない。公共区画がなくなるとNPCの生成も少なくなる。38日間で完結するストーリーを組むか、例外を作るかのいずれかだ。

 

(5)自シムの命名案

 自シムの名前は、最後まで残る音から考えてみる。後ろから「ん」「が」「た」「い」「か」の順番だ。日本語として文章を成立させるために、形容詞、動詞、助詞、接続詞によく使われる音は温存してきたことが窺える。これは、かつて計量国語学会で発表された論文でも指摘されていた。改めて見ると本当によく考えられている。

 自シムが消えたらその時点でプレイ終了となるから、最後の方に消える音だけを使う。

 

 2013年からアジアのレストラン1位に選ばれ続けた有名シェフにあやかって「ガガン」。フルネームはガガン・ン、英語で綴るとGaggan Ngとする。65番目の音が消えるまでは生き延びるということだ。

 

ここで暫し脱線する。

 

 件のシェフ、ガガン・アナンド氏は、2019年頃にバンコクの店を閉じて、一時期福岡におられたようだが、その後バンコクに戻られたと聞く。新しい店はメキシコ料理の要素を加えたアジア・パシフィック・フュージョン料理だが、日本びいきは相変わらずで三分の一位は和のテイストが取り入れられているようだ。

 

 バンコクの店は一度行ったことがある。雑誌に取り上げられ、アジアの金持ち達が殺到するようになる少し前だった。店で使われていた器は古伊万里が多かった。確か佐賀県の廃業した古い旅館に残されていたものを丸ごと買い取ったと言っていた。ひょっとすると貴重なものがあるかも知れないと言ったら「お前、器がわかるのか。ちょっと見てくれ」と何枚か持って来た。偉そうなことを言ったが、当方ずぶの素人。それでも裏の落款から大凡の年代くらいは推定できる。「明治時代のものが多いと思う。江戸時代の国宝級ではないけど、それでも高価なものだよ」と言ったら、急に表情を変えて皿を回収し「お前、絶対に皿割るなよ。あ、俺もだ」などと破顔一笑、自ら料理を取り分けてくれた。無邪気で楽しい人だと思った。

 とても陽気+1 

 

 秘伝のカレー粉を使った金目鯛の煮付けが記憶に残る。simmered snapperは日本でよく食べられている料理だと言ったら、ドヤ顔で「スナッパーじゃないよ。Kimme-dai、キンメダイのニ・ツ・ケ」と連呼された。九州に良く行くのならカレイ、ヒラメ、サバなんかも使う事あるのかと聞いたら「あー、あれは今は季節じゃないから」と、とぼけたドヤ顔。表情豊かで笑いの絶えない姿は今思い出しても可笑しい。

 制御不能 

 

 可笑しいついでに、simmerは煮るという意味だから、Sims Forumなどで公式がSul Sul Simmers! と書き出しているのも微笑ましい。私たちは毎日シムを煮炊きしているのだ。実際そのようなことをしているが。

 陽気+1 

 

 笑い死にを回避したところで、行き詰まっている本題に戻る。

 

(6)アイディア練り直し

 

 それにしても苦しい。プレイの目的は、単に『残像に口紅を』と同じことをSIMS4でやってみました、ではない。制約条件の中で、ゲームプレイとして成立させ、一本のストーリーを貫くことなのだ。

 

 暫し凡人の足りぬ頭で考えた。そういえば、ストーリーの初期段階で筒井康隆氏はフランスの首都を消したり、世界の文豪や哲学者をどんどん抹殺されて、ある意味で楽しんでおられた。パン屋に行ってもパンはなく、世界文学全集からモーパッサンやセルバンテスが消えていった。

 これは、音が消えると世界はどうなるのかを読者にわかりやすく伝えるだけでなく、小説内の世界から名詞を減らして言い換えの妙技を極め、卓越した筆力で最小限の動詞・形容詞・助詞・接続詞を駆使して書き上げんとされた、謂わば確信犯的な謀(はかりごと)、即ち「言い換え無くして音消去なし」と言うことではないか。

 

 SIMS4の表現はテクストではなくアニメーションに依拠している。動詞・形容詞・助詞・接続詞が使えなくて困る、ということはない。むしろ最初の方で消された音を残し、フランスの首都や食べ物と同様に早い段階で抹殺される運命のシムと区画を極力延命させることが、ストーリーを成り立たせるために必要だ。しかし、自分でSIMS4でよく使われる名前の音分布を分析し、音を消す順番を決めたら、その時点で『残像に口紅を』とは全く関係がなくなる。ここは原著の考え方と推察される言い換えの技を組み合わせるしかない。

 

 暫し沈思黙考する。仮に小説とは逆の順に消すとどうなるか。表にして検証した。浅薄

だった。初日に大きく減るのはどちらも同じだが、小説通りの順に消した方が、中盤の消え方は緩やかになる。後半の50番目以降は最近多用されることの多い促音(小さい「つ」)、拗音(小さい「い」など)が多い。そのため逆順で消すと概ね15日前後にほとんどの区画、シムが消えてしまう。外来語が現在ほど仕様されていなかった1980年代にこの順を考案されたというのは、改めてよく練られたものだと驚愕する。

 

やはり、小説通りの順番で音を消し、シムと区画の延命は、単語の言い換えに相当する施策を考えるしかなさそうだ。

 

(続く)