SNSで知り合ったハリウッドスターを名乗る人物に恋愛感情を抱き、約7500万円をだまし取られたという女性漫画家がいる。今夏には体験をつづった単行本を出版した。近年横行している「国際ロマンス詐欺」の手口で、女性は「『美しい』と言われ、心を奪われた。愚かな体験を教訓にしてほしい」と話している。(浅野榛菜)

FBから連絡

 漫画家は京都市在住の井出智香恵さん(74)。1966年にデビューし、嫁しゅうとめの壮絶な争いを描いた連載漫画「羅刹の家」が98年にテレビドラマ化され、話題を呼んだ。

 井出さんのフェイスブックに「マーク・ラファロ」を名乗る人物からメッセージが届いたのは2018年2月。大好きな映画シリーズ「アベンジャーズ」でヒーローを演じている米国の大物俳優で、本人がツイッターを更新する度に「いいね」を付けていた。

 本人かどうか疑う気持ちもあったが、顔写真入りの運転免許証も見せられた。「とても美しい」「仕事をする姿がクール」。ビデオ通話でマーク・ラファロの顔が映し出され、会話を交わすと、心を奪われた。

 家族の話になり、井出さんは離婚し、子どもが3人いることを明かした。相手からも離婚調停中と打ち明けられ、6か月後には「幸せになろう」とプロポーズされた。会ったこともなかったが、「仕事を頑張ってきたご褒美」と思い、受け入れた。オンライン上で結婚の儀式を行った。

次々と金無心

 これが悪夢の始まりだった。

 「離婚訴訟で口座が裁判所に監視されている。フライトに1100ドル必要」。急いで指定口座に送金すると金銭を次々と求められた。「ショーのギャラがしばらく現金化できない」「民主党の選挙キャンペーンで金を使い果たした」と言われ、助手への給料支払いを遅らせ、息子にも金を借りて工面した。

 「元妻には知られたくない。隠している1200万ドルを送るから保管しておいてほしい」と連絡があったのは18年10月頃。「外交官」という男ら2人がキャリーバッグを井出さん宅に持ち込んできた。中には黒い紙が束になってぎっしりと詰められており、男が1枚を取り出し、持っていた液体をつけると100ドル札になった。

 井出さんは何が起こったのか理解できなかったが、その100ドル札を外貨両替所に持ち込むと、円に交換できた。相手からは税関に没収されないために金を黒くしたと説明された。「もっと液体を手に入れるためにはお金が必要なんだ」。そう力説されると、送金をやめられなかった。総額は7500万円に上った。

不審点指摘され

 やりとりを終わらせるまでにかかった歳月は3年5か月。「不審な点を一つひとつ娘から指摘され、目が覚めていった」と振り返る。

 見せられたパスポートは姓名が逆で、免許証の住所には番地の記載もなかった。相手が使う英文は米国人の文法ではなかった。

 ビデオ通話で使われたのは人工知能(AI)で作成された偽動画「ディープフェイク」ではないかと娘から指摘された。ネット上のアプリを利用すれば簡単に作れることを知った。

 あの黒い紙は、海外で問題化している「ブラックマネー詐欺」だったと思っている。黒く変色した紙幣を元に戻すために必要だと偽って金を詐取する手口で、日本でもリベリア人やカメルーン人が逮捕されていた。

 井出さんは21年6月、京都府警に相談。被害届を出し、紙の束が入ったバッグも任意提出した。府警は詐欺事件として捜査している。

 「生きがいは部屋に閉じこもって漫画を描くこと。さみしいとは思わないが、心の隙間に詐欺師が入り込んだ」と唇をかむ。被害を隠さず話すのは、次の被害者を生みたくないからだ。今年8月に単行本「毒の恋」(双葉社)を出版し、励ましのメッセージも届く。

 メッセージの中には不審なものもある。「くれぐれも、SNSでのやりとりには用心してほしい」

出会いはSNSで被害急増

 ロシア人の宇宙飛行士、シリアに派遣中の米国軍人……。様々な職業の外国人になりすましSNSなどで親しくなった相手から現金をだまし取る「国際ロマンス詐欺」の被害は近年、急増している。

 国民生活センターによると、こうした相談件数は2019年度の5件から20年度は84件、21年度は192件となった。コロナ禍による会食の自粛で出会いの機会が減る一方、SNSやマッチングアプリの利用拡大が背景にあるという。

 情報セキュリティー会社「ノートン」(東京)が狙われやすい人について調べたところ、▽プロフィル欄に家族やパートナーの写真がなく、独身と推測されやすい▽車や家、高級品の写真を投稿している――などの特徴がみられたという。

 マッチングアプリの運営会社は、身分証明書の真偽を見極めるためAIを活用した本人確認システムを導入するなどの対策を進める。