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2020年03月23日 02:37
さりながら、広宣流布と言うといえども、一朝一夕になるものではありません。今、仮に、広宣流布ということが現実に行なわれたとする。勅宣・御教書を賜わって、御本山が広宣流布の姿をとって、大客殿に 大御本尊様がお出ましになったとしたならば、誰人が大御本尊様のありがたさを日本中の人に伝え、又かつ、あそこに参拝する信心無き人々が、どれほど御本尊様を粗末にすることでしょうか。
あたかも身延の山へ行って、あるいは成田山へ行ってお礼をもらうがごとく、大御本尊様を頂いてきて、隣近所にみやげにくれて、その人達は何枚ももらって、も「なんだ、またか、またか」ということになる。御本尊様を粗末にする事、が日本国中に充満するでしょう。その時には、広宣流布の姿をとりながら、日本国謗法、日本亡国の姿が厳然と現われるのです。
それがために、まず前提として、真の広宣流布は、(折伏をしての)本尊流布をしなければならないのであります。日本国中の人々が、いかに大御本尊様がありがたいか、ということを肝に銘じてこそ、真の広宣流布ができるのであります。
これがためには、なまじっかな闘争では、決して広宣流布はできない。