東洋哲学研究所の研究員であり、創価学会員でもある友岡雅弥氏を、創価学会は7回査問して、その度に吊るし上げ喰らって言語障害にならせ、64才で死亡させたともいえる。
創価学会って、宗教団体だよね?
こんな圧力をかけといて良く平和と文化の団体って、言えるよね?
仏教の信仰者ではクズで、仏法者失格!
選挙応援だけに熱心でに票を集めればいいんだよ!ってか?
ヤクザえおバックに付いた政治結社と変わらんよな。
以下、引用===========
世界中を翔ける妙法のジャンヌ・ダルクからの涙のレポートを送ります。
T レポート No1 ○○子より
友岡雅弥氏が、期せずして創価学会第2代会長戸田先生の祥月命日である4月2日にお亡くなりになられました。
3月下旬よりボランティア活動の為に岩手県宮古市に着かれましたが、肺炎の為に入院され 、
田老のワカメ漁の手伝いにはいかれない日々が続きました。
一方で肺炎自体は治まり、
1日(月曜日)の退院を希望されて いました。
しかし、その日に再度体調を崩されましたが、2日(火曜日)の再検査の結果が良好ならば 3日(水曜日)に退院、帰阪予定でした。
2日は意識もあり、亡くなられる数時間前までネットを見ていた様で「良いね」ボタンを 押されてたとのこと。
しかしその後、急に心肺停止状態となり、残念ながら15:00にそのままお亡くなりになられました。
享年64才でした。
謹んでお悔やみ申し上げます。
つきましては、生前の友岡氏を偲び、
昨年4月、友岡氏に対して弊社がインタビュー していました。
「妙法の万葉集(友岡雅弥氏編)」として発表させて頂くことになりました。
作中におきましては、実名を出されては不都合な方々もいらっしゃるとは思いますが、
オリジナリティを尊重して、故・友岡雅弥氏の表現をそのまま引用させて頂きます。
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「 僕がこういう状態になったのは、一昨年の10月なんだけど、、
で、本当は医者からは即「もう仕事に行くな」と言われたけど、
僕の手元にダンボールに一杯その頃の資料があるんですよ。
先生の直筆の直しとかが入ったやつで、それを全部電子化したんです。
3か月かかって。
それでまた信濃町に呼び出されたので、その3か月前の診断書を出して、翌日から辞めたんです。
向こうは(信濃町)は僕を懲戒免職にしようと考えていた。
だがその診断書で、振り上げたこぶしの下げどころを失った。
で、結局、役職解任。
で、山内(関西長)は、僕のことを皆に「あいつは裏切った、極悪人だと言え!」と触れ回った。
僕はといえば、自分の組織で、一昨年の1月13日から10月10日まで、すべての出張を日帰りにして、地区内の一部員として家庭訪問をした。
一日も欠かさずね。
自分から地区内の寝たきりの半身不随のおじいちゃんの尿処理やおむつ替えをした。
これをまた怒られた。
「あいつは活動家をつくれない奴だ」と。
でも僕にとって創価学会は、活動家をつくるものじゃなくて、
こうした部員さんたちの中で、困った人を助けに行くことが家庭訪問と考えている。
ところが上は
「お前は家庭訪問を何だと思っているんだ!
活動家をつくってないじゃないか!」と。
でも私は何とも思わなかった。
幸せな人を作るのが家庭訪問だと確信していたから、いくら言われても平気だった。
ま、そういう事で批判する人が多いんですよ。
そのトップが長谷川重雄だ。
ある意味彼が一番の悪です。
先生の所に入れるべき大事なちゃんとした情報を全部シャットアウトしている。
1999年から2000年にかけて大きな変化が起こった。
それは何かというと、第一次自公連立政権です。
1999年10月、第一次自公連立政権。
その前に、その連立政権に向かう模索があった。
さかのぼると、まず宗教法人法の改正(※村山内閣、1995年12月公布)で学会がゆすられた。
自民党に頭下げて止めさせた。
で、自民党に借りを作った。
当時、橋本龍太郎が四月会の件で学会に謝ってきたというのは表面上のことで、
実は学会が自民党の集票マシーンになるのを条件に追及を止めさせた。
それで自公連立が成立した。
2003年、イラク戦争が始まった。アフガンへの攻撃が始まった。
で、自衛隊を行かせるかどうかの議論になった。
あの時に、学会の中も二つに分かれた。
自公連立を選ぶ意見と、それを反対する意見があった。
その時から、
創価学会は、公明党ではなく創価学会内で自民党の主流派とつながっている人が、
学会の中で発言力を持つようになった。
こういう構図になってしまった。代表的なのは佐藤浩です。
(※自公連立の立役者は竹岡誠治ら報恩社一派。いわゆる八尋―谷川・佐藤―報恩社の悪の三位一体)、、、以降は、次回。
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本隊随行チームが2チームあって、私もその一人だった。
兵頭信二さんがトップの2チームだった。
いわゆる先生付きの記者の仕事だったが、先生の目の前でメモを取ることができなかった。
禁止されていた。
なぜかといえば、先生が思い切った指導ができないから。
例えばこんな指導が目の前でなされたことがあった。
ある時、先生が関西の西口さん(総関西長)に向かって、
「兵庫は絶対に参議院出すな!出したらいけないよ!
東京がいくら言ってきても絶対に出したらいけないよ!
なぜなら、兵庫は世帯数が少ないから、
もし出せば、
自民党と本部の付き合い方を変えなければならなくなる。
そうなれば、関西が本部の下になるよ。
そして学会が自民党の下になるよ」と。
これを聞いた西口さんは悩んだ。
尼崎等の婦人部が「出したい、出したい」と言っているからだ。
でも、先生がああ仰っているんだからと、西口さんが生きているときは、兵庫は参議院を出さなかった。
でも今回出してしまった。
案の定、今の関西は、自民党と本部の下の立場になった。
先生の言った通りになった。
(※定数が2から3に増えたことも候補を立てた理由では?)
また、こんなこともあった。
アメリカの長嶋理事長が、「ニューヨークの一番大きな書店で、池田大作書籍展をやりたい」といった。
すると先生は、
「みっともないからやめておけ!」
「僕の本の中で世界に通用するものは一つもないよ!」と、ハッキリ言われた。
で、
「本部幹部会では秋谷が聞いているから、威張らざるを得ないけど、
本当に世界に通用するものなんか無いんだよ。
まだ修養中だよ」と言われた。
更に長嶋さんに言われたのは、
「この信心だけが幸せになるという考え方は絶対にやめておけ!
いい宗教ならばみんな幸せになるんだよ!」と仰った。
「この宗教だけが幸せになるという考え方をしていたら、
私が死んだ後、坊主が天下を取るぞ!」と言われた。
「何故かというと、会員一人一人が努力をしなくなるからだ。
『入っているだけでいいんだ』とか『題目だけあげていればいいんだ』といって、
社会人としての努力をしなくなってはダメだ」と仰った。
それから、シナノ企画に先生の映像と音声を撮っているチームがある。
これも2チームあった。
このチームが先生の言動を全部撮っていた。
秋谷を土下座させたり、雪の秋田指導でおばあちゃんを抱きしめたり、
プライベートなところまでかなり撮っている。
ところが、このシナノ企画の同行チームも無くされた。
このシナノ企画が押さえていたビデオや音声は全部本部の管理になった。
同じく、冒頭に言った兵頭さんを中心とした随行記者チームも解体解任された。
僕は大阪にいたから、僕だけ降ろされたのかと思っていた。
僕は対談関係と海外の講演関係もやっていたが、その当時は本当に先生との打ち合いのように進められていた。
例えば、第二回のハーバード大学での講演の時は、まず先生から「出だしはギリシャのヘラクレイトス、、、、」
(ここで、友岡氏は自分のロレツがうまく回らないことを釈明、査問攻撃によって精神的にやられて、言語障害にまでなってしまった等を説明。
ここで話が戻り、シナノ企画の解体からSTBの話になる)
STBとは会員洗脳マシーンで、アクセンチュアと電通が、会員を本部の意向に誘導するために様々な演出を凝らして作っている。
だから芝居じみていてクサい。
あれを見て感動している人がいるが、あれは脚本から作られたドラマなんです。
だから先生が同中を始められた意図と、STBは方向性が真反対なのだ。
STBは都合よく編集された、組織をコントロールするためのものです。
今や書籍も同じだ。だから本当に先生の書籍を読みたいと思ったら、
1990年代のもの、
2000年以前のでなければダメです。
例えば「創価のルネッサンス」や「今日より明日へ」、
それから「法華経方便品寿量品講義」「法華経の智慧」までです。
しかも初版本でなければダメです。
その後に出されたワイド版は電通が作っているのでダメです。
当時、先生は月に3回スピーチをされていた。
それを小冊子にして出し
ていた。
これを集めるのが良い。
(※兵頭さんが外され始めたのが2000年9月。2001年3月、東哲へ)
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( 春の章を終わります。
夏、秋、冬と、彼のインタビュー内容は、
巨大宗教団体の心臓部に、匕首(あいくち)を突き立て、
死を覚悟で相手の心臓を打ち抜く彼の死して尚、突き進む、怨念にも似た叫びさえ感じます。
今後、これらを暴露する事は、既に完成し、出版を待つだけの私、宮川日護の「 さらば信濃町、さらば信濃町慕情 」を遥かに凌ぐ、内容です。
「マルサの女 」
「 マル暴の女 」シリーズで、次回作「 マル教の女 」で、巨大宗教団体の内幕を暴こうとした伊丹十三監督が、
不用意にも、自社ビルから足を滑らせて転落した事故にも勝る原因ともなり得るであろう。
しかし、死を以って託された告発の遺言を、命惜しさに闇に葬る事は、私には出来ない。
しかし、私とて、みすみす不審死を偽装されて、片付けられる程、柔ではない。
全日本空手道連盟 和道流、正空会の同門であり、父の弟子に当たる後藤忠政氏にも会い、
重たい口を開く対話を私の持ち弾を交渉の味噌として、ネゴシエイトしたいと考えている。