宗教には、内道(仏教)と外道(キリスト教・儒教・神道・新興宗教等)との勝劣相対があります。
これを、①内外相対と言います。
この勝劣の基準は、三世の因果を説けるか否かにあります。仏教以外の教えは、いずれも三世の因果を無視したり、あるいは部分的な浅い因果しか説いていませんが、内道の仏教は、過去・現在・未来の三世を明らかにし、真の因果の道理を説いています。
したがって内外相対すれば、内道である仏教が勝れていることが明らかです。
では、仏教なら何でもいいのか?
仏教には「大乗教」と「小乗教」の区別があり、これを比較することを②大小相対といいます。
読んで字の如く、大乗教とは大きな乗りものを、小乗教とは小さな乗りものを意味します。
これについて大聖人は、
「小乗教と申す経は世間の小船のごとく、わづかに人の二人三人等は乗すれども百千人は乗せず。設(たと)ひ二人三人等は乗すれども、彼岸(しがん)につけて彼岸へは行きがたし。又すこしの物を入るれども、大なる物をば入れがたし。大乗と申すは大船なり」(乙御前御消息 平成新編895p)
と仰せられ、成仏という目的地まで大勢の人を安全に連れていくには、その乗りものが大きく完全なものでなければならないことを教えられています。
小乗教とは、釈尊が華厳教(華厳寺 奈良の大仏)の後に続けて説いた阿含部十二年間の経、大乗経とは小乗以外の経々で、この両者を比較対象するのが大小相対である。
まず小乗経は、ごく初歩的な真理の一分と種々の戒律を説いた経で、自己の救済のみを願う二乗(声聞・縁覚)を仏教に誘因し、やがては大乗経へ導くための一時的な経です。
大乗経とは、法の内容が高度で自他共の救済を願う民衆(菩薩)のために説かれ、ついに成仏に至らしむる経です。
したがって、『守護国家論』に、
「小乗経は不了義、大乗経は了義なり」
(平成新編 125頁)
と仰せのごとく、大乗に対して小乗の経は浅薄を免れず、大乗教は小乗教より勝れているのです。
では、大乗経であればどの宗派でも正しいのかと言うと、それも違う。
大乗経でも宗派の中身がどう正しいのかよって違うのであります。
釈尊一代五十年の諸教には「権教」と「実教」があり、これらを比較相対し、真実の教えを選び出すのが③権実相対です。
権教とは、しばらく用いて後に捨てるべき仮の教えの意で、衆生の機根に応じて説かれた方便の教えを言い、御書では隋他意と記されています。
随他意を簡単に言えば、相手に合わせて方便を説く事です。
相対して実教とは仏の悟りをそのままに説かれた真実の教えを言い、御書では隋自意と記されております。
簡単に考えれば、随自意は仏様の教えをそのままに説かれているから、その通りに従いなさい。と言うのであります。
釈尊は、四十二年間にわたる説法の後、『無量義経(むりょうぎきょう)』において、
「四十余年には未だ真実を顕さず」(開結23)
と明かし、その後に説かれた法華経『方便品第二』に、
「要(かなら)ず当に真実を説きたもうべし」(開結93)
と説いていることから、爾前の四十余年の経教は方便権教であり、法華経のみが真実の教えであることが明らかです。
この法華経においては、一切衆生を成仏せしめる一念三千の法門が顕されることによって、これまで成仏できないとされてきた二乗(声聞・縁覚)の作仏が許され、また釈尊の本地である久遠実成が明かされました。
大聖人は、
「但し仏教に入って五十余年の経々、八万法蔵を勘へたるに、小乗あり大乗あり、権教あり実教あり、顕教・密教・軟語・麁語(そご)・妄語・正見・邪見等の種々の差別あり。但し法華経計り教主釈尊の正言なり。三世十方の諸仏の真言なり」
(開目抄 平成新編526頁)
と仰せのように、釈尊一代五十年の説法のうち、法華経こそが真実の教えであり、それ以外の経教は、法華経に導くために説かれた権(かり)の教えなのです。
と仰せのように、釈尊一代五十年の説法のうち、法華経こそが真実の教えであり、それ以外の経教は、法華経に導くために説かれた権(かり)の教えなのです。
仏様の教えとは、諸の悪を作すこと莫れ。善ことを修めて行い奉ぜよ。そして自らの其の心を浄くせよ。
是れ諸の仏の教えである。
通解
悪いことをしてはいけません。
善い事をしなさい。
そして自分自身の心を浄くしなさい。
これが仏様の教えである。
悪い事とは、南無妙法蓮華経を信じない人・唱えない人です。
善い事とは、南無妙法蓮華経を信じる人・唱える人です。
浄くない心とは、物の道理がわからず、のら犬のら猫のように我侭(わがまま)で欲張りで喧嘩口論が好きで、目立つ事が好きで、自分勝手で他人の誰からも嫌われ、親をおろそかにして礼儀もしらず、仏様を敬まわず妙法を信じない人の事です。
犬や猫・馬や牛でも飼い主の言う事をよく聞きます。
すると、心の浄くない人は、動物よりも劣ることになります。
仏様は、心の浄くない人は、説かれて不倫と云って、人の道にはずれてしまい、風紀や規律が乱れて家庭も社会も混乱してしまうのだと説かれています。
これは本人はもちろんのこと親にも責任がありますが、根本は仏様の教えを信じない、行わない事が最大の原因であります。
だから政治家も教育者も、医者も警察官も、国王も国民もみんな南無妙法蓮華経を信じて唱えて、その仏様の教えを固く守って行わないかぎり、本当の幸福も平和も訪れてはこないのです。
民主主義という考えで、皆んなが自由だ平等だと思ったその結果、アメリカの国のように、みんながピストルを持って生活をしなければ安心できないようになるのです。
ですから民主主義は社会主義と同じく完璧な主義でなく悪法にも当たります。
仏様の教えである慈悲の教えでなければ、人類の幸福も平和もおとずれてはこないのであります。
少年少女・青年の方も、壮年・婦人の方も、次ぎにお話する仏教童話に出てくるリタというおばあさんのお話を聞いて、仏様や仏様の教えをどのようにしたら良いのか、見習って下さい。