吸い込まれた匂いの分子は、鼻の中で電気信号に変換されて、その情報は脳の中へ伝わっていく。嗅覚を司る領域は、海馬や偏桃体と呼ばれる部位とつながっていて、同時に刺激された視覚、聴覚、味覚、触覚といった嗅覚以外の感覚とも結びついて、匂いに意味が与えられる。こうして匂いは、単なる匂いではなくなり、記憶や感情が配合された、香りという概念に姿を変える。ポップコーンの匂いを嗅いだ時に、映画館と犬の肉球を全身でリアルに思い起こすのは、頭の中で、このネットワークが滞りなく働くからだ。
香水にも使われることがあるジャコウは、元来、ジャコウジカのお腹にある、匂い袋の中の分泌物を乾燥させたものとされていて、それと似た匂いのする物質もジャコウと呼ぶ。同じジャコウと名の付くジャコウネコも、やはり匂い袋をお尻のあたりに持つ。ジャコウネコと言えば、独特の香りと風味を醸し出すとされている、コピ・ルアックというコーヒーを連想する。このように、ジャコウネコとは、匂いにまつわるエピソードが目立つ存在のようだ。
ジャコウネコ科に属する動物を総称して、英語表記でシベットと呼ぶ。日本人に身近なシベットは、ハクビシン。シベットは、胴長短足で、しっぽの長い、ネコのようでネコでない、系統的にはむしろハイエナに近縁な、アフリカやアジアに広く棲息している動物だ。種によって体のサイズがまちまちで、2~3㎏のものから6~7㎏のものまで、容姿も典型的な形はなく、つかみどころがないのが特徴と言えるかもしれない。その中で、最も体格が大きく、しっぽまで筋肉隆々の、毛が黒くモフモフとした、ビントロングという動物がいる。彼らもまた、ジャコウネコの名に相応しく、匂いを発し、全身からポップコーンの匂いがすると言われている。
日本では、10数施設の動物園でビントロングが飼育されており、触れ合えるくらいにまで人間に慣れている個体もいると聞く。できることなら、抱きついて顔をうずめてみたいところだが、せめて手のひらだけでもその体に触れて、実際に匂いを堪能してみたいものだ。きっと、ビントロングのイメージが、ポップコーンの匂いをまといながら、神経のネットワークを伝って、脳内ストックに滑り込んでくることだろう。その後にポップコーンの匂いを嗅いだ時には、映画館と犬の肉球とともに、ビントロングのイメージも、頭の中で沸き起こってくるに違いない。
「ポップコーン…って感じじゃないな。」
院長 渡部伸一