H30.3.1(木) 将来への不安
やはり朝が一番きつい。妻、子どもたちのことをいつも考えるが朝がつらい。普通の生活を今後送らせられないことを考えるとつらい。いつまでも病状が進行しないでほしい。教頭を辞めた事実を子どもたちがどう受け止めるか。病気がないまま定年まで勤めた人生と、いまさらされている現実の人生を比べてしまう。つらい。
息子たちへ
3月2日(金)18:00。妻、長男(大学1年)、二男(高校2年)、三男(中学2年)に集まってもらった。病気とこれからについて話した。
子どもたちには正直、話すかどうか迷った。しかし、3人を信じているし、一人前と認めて、頼りがいがあると思って話すことにした。
病気は、右指が力が入らないと感じて通院したがわからなく、検査入院した。その結果、病名はALS(筋萎縮性側索硬化症)。全身の筋肉が動かなくなっていく。少しづつだが、手、足、など動かなくなっていく。でも、この病気は人によって進行が様々。10年ぐらい進行があまりしなく仕事をしていた人もいる。今は、まだ仕事をしているし、母も仕事をすることになった。父もまだまだ働くつもりでいるので、心配しないでほしい。ただ、症状がこれから出てくるので、話をすることにした。
病気と戦うために、教頭をやめて白河に戻ることにした。治療をするのに単身赴任や教頭職では制約がある。周囲にいろいろ言われるかもしれないが、理解してほしい。
3人は、今までどおり仲良くして、団結して、不安を乗り越えてほしい。また、父の病気で、自分たちの希望する進路を変えないでほしい。そして、父みたく悩みすぎると病気になる。明るく生活してほしい。
この病気は、人生設計を大きく変えた。くやしい。でも、事故で一瞬にしてなくなる命もある。余命が短く告げられる病気もある。これを機にみんなと大切に過ごしていく。みんなも、明るく頑張ってほしい。
子どもたちの前では、泣かないと思っていたが、泣いてしまった。子どもたちは、涙はなく、冷静に聞いていた。長男が聞いてきた。治る薬はあるのか?現在はないと答えた。腕だけしか進行しないこともあるのか?通例では全身と答えた。それでも子どもたちは冷静であった。動揺して泣かれるかと思っていたが、安心した。うれしくもあった。
9日(土)は方部の校長・教頭合同分散会であった。僕が出席すると暗くなるかと考え、欠席しようと思っていたが、管理職の会合も最後かと思い出席した。ほとんどの校長・教頭は僕の病気、降任のことを知っていたみたいだ。中でも教頭昇任研修の講師を依頼された校長先生が心配してくれて、「こんな事があるのか。何で先生が」と涙を流してくれた。僕が病気にかかったことによる、ありがたい言動と感じた。また、剣道で昔からお世話になっている校長先生は、「教え子で、脳腫瘍で余命3ヶ月と診断されたいた。講演をしてもらったが、その後根治した。医者もびっくりしていた。」「軌跡はあるよ。俺は信じているよ。使える制度を使って、軌跡を信じるよ。」「校長になったってできることはみんな同じ。自分にしかできないことがあるよ。」と。かなり励まされた。勇気をもらった。
10日は三男の練成会に出向く。主だった先生方に病気のこと、降任のこと、白河へ戻ることを話す。みんな仲間になってくれる。ありがたい。
さて、進行状況だが、ろれつ、両腕。進んでいるのかな?気にはなるがわからない。
神棚 お墓参り
17日(土)家の神棚は、あるがまだ神様を入れていなかった。それにしても昔のお札や、だるまと一緒に摸擬刀まで置いていた。ひどい状態であった。妻と一緒に社を購入。拝んでもらい、お札を受けた家の神棚に、社、お札、榊、米、塩、酒をまつる。立派になった。
夜は仲間と3人飲み会。僕の入院で延期になっていたものだ。この3人で教頭をやりながら支えあいながらやっていきたかった。二人とも仲間になってくれる。心強い。ありがたい。一緒に定年退職をといってくれた。本当にそうしたい。
18日(日)は家族全員で実家にお墓参り。妹家族も一緒。食事をし、一部子どもたちは遊んだ。のんびりしたほほえましいいい時間だった。
さて、進行状況だが、箸使いも含め両腕の力が落ちてきている。ろれつもだんだんと。考えると恐ろしい。進行よとまってくれ。あと10年働きたい。
20日(火)昼休み、手をきつく握り、思いい切り開いたときに腕がつった。そのときを期に人差し指に力が入らない。ペン、箸が力が入らない。筋肉を壊してしまったのか。残念だ。その日の夜、道場に。仲間の先生に病気のことを話した。気遣ってくれた。
21(水)は三男の練成会で会津に。妻と後追いした。剣道関係の先生方と会った。三男、頑張っている。その日の夜、家族で温泉へ。笑いが多くあり、非常に楽しかった。
22(木)昼にもう一人の剣道の仲間に病気のことを話した。
右手は進行してしまったと感じる。切ない。でも、箸もペンも使える。まだ大丈夫だ。