2022年 08月08日(月) 天気:晴れ 気温27~33度

学校らしきところである生徒と話していた。嘘も方便で使いようだと説明していた。教室に向かうときりーつ礼と、終わってそこに堂々と入っていった。数学が出来ない箇所があるのでこれをどうできるようになるか悩んでいた。先生が横に立ちずっと自身を見ていた。目を覚ました。『学校か~なぜ学校の夢?』

 

この世からいなくなりたいという気持ちが強い。とても強い。キッチンに座りながら症状が治まるかどうか試していた。『座って考えても症状はなくならない』息子の寝ている姿を見ながら頑張らないと、と言い聞かせた。

 

息子は10時過ぎに起きた。時間も時間だから昼食と一緒に食べさせる。昨日作った鶏のトマト煮。煮詰めていたので鶏のジュレみたいに少し固形になっている。丸皿にご飯を敷き詰めトマト煮を乗せ、ちょっと見た目が寂しそうだから目玉焼きとウインナーを焼いて上に乗せてみた。

 

漫画ばかり観ていた息子に勉強は?と尻を叩いてみた。机に向かうがどうもやる気を見せていない・・・。それでも何も言わずただじっと様子を伺っていた。そうするとⅠ時間経った頃から声を出して歴史の重要な言葉を音読してし始めていた。言わないのが正解かも知れないと思った場面であった。

 

区が管理している子供をのびのびとマンツーマンで教えてくたり食事も提供してくれるところに面接に行く予定があるがしんどさMAX。行こうか行くまいか直前まで悩んでいたが息子の為にどうしても頑張るしかない。

 

電車に乗り、息子に通うとしたならば普通電車に乗って向かうんだよと所々教えた。面接でその日からいていい事になった。ボランティアの人、大学生の方、区の職員の方が沢山いたが息子はここでもっと成長できるだろうと感じた。先に帰る事に。その場所は開示されていない場所で多分だが、自身がこのような状況だから区の方らが支援として助けてくれたのだと思う。申し訳ないし感謝しかない。

 

帰りにお肉屋さんでコロッケとイカフライを買い自宅に戻った。息子は夜ご飯も食べてくるし他の子供達もいるしきっと楽しんで来るだろうな。友達が出来ないと悩んでいたから。

 

横になりながら姉と電話で話をする。どうも父が母の死をきっかけに断捨離を行っているようで、なんでも粗大ごみに出しているようだ。様子を見に行きたいがそこまでの意欲がわかない。元気であったのならば行動的に動くであろう自身がそこにはいない。父の気持ちが良くわかる。伴侶の死とはそういうものだ。

 

息子が戻ってきた。食事もして満足気だった。行政の助けって案外といい面もある。行政に妻と同じ感じで全てオープンにした。普通は壁を一応は用意するのが一般的だと思うけど・・・自身が子育てに悩んでいるのなら全てをさらけ出した方が良いと判断した。亡き妻は見捨てられたが・・・それでも、もう一度信じたい。

 

私がうつ病とPTSDなった時のことは

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興味があれば覗いてやってください。

 

本日の睡眠:00:02~04:13、04:43~06:09、06:25~08:27 風呂:〇 体重:75.0

本日の食事:朝:なし

                 昼:鳥のトマト煮丼目玉焼き乗せ

                 夜:イカフライ、コロッケ

 

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