2021年4月25日(日) 天気:晴れ 気温:13~21度
知り合いだと思う人と一緒に歩いている、そんな他愛もない夢から目覚めた。今日も睡眠時間としては上出来。8時ごろに息子と食事をして、9時から遊ぶ約束をしていた息子に「いってらっしゃい」と送り出した。12時まで遊ぶとのことで、時間に少し余裕があるものの、腰に激痛が走っているので横になって待つ。
待っている間、ノートパソコンを広げ、YouTubeで洋楽を聞いていた、マライアキャリーの【Bye Bye】。この音楽を聴いていると、亡き妻を思い出す。逢いたいよ。今でも。変わらない気持ちで。
何故?何故?何故?でも病気だったから仕方ないね。『本当にごめん。助けられなくって』『すまなかった』
レイチェルプラッテンの【Fight Song】も聴く、頑張れって、立ち上がれって、しかし、こんな私が立ち上がってもいいのだろうか?この答えにたどり着いていない。私は身の上にあった生活をし、ボロアパートの6畳一間で生活をしている。子供が戻って来る時もこの狭い部屋で一緒に過ごす。この部屋は友達には呪いの館と揶揄されている。実際、生活しているここ6年、碌なことがおきない。それもおいおいこれも書き留めていく。
音楽は諸刃でもある。少し前は道を示してくれるとも書いたが、今の私には何故が付きまとう。まだ書き留められる準備ができていない。心の負担が尋常ではない。申し訳ないがもう少し待っていただけるだろうか?
音楽をプラス思考で、故人を想いだし、懐かしく、走馬灯のように、笑った日々を、思い出すなら問題ない。
12時頃から片頭痛とめまいの症状にやられている。『今日も色々ダメだな』なんて思いながら、昼食の支度をする、メンチカツは昨日お肉屋さんで買っておいたので、すまし汁だけを作る。鍋に水、ほんだし、醤油、ちぎったほうれん草、手で豆腐を大きめにちぎってスイッチオン。丁度帰ってきた息子と公園などの様子を聞きながら食事をした。「このスープおいしい」って息子が言ったが、『たまに作っているよ~』と心の中で言い「そうか、うまいか」と言葉にした。
鎮痛剤を飲んで落ち着いたので、薬のことを書く。ミルタザビン15mg朝夕一錠、後は寝る前にフルニトラゼパム1mg 2錠、トラゾドン25mg 4錠、ジプレキサ2.5mg 2錠。やっと理解した。ジプレキサ錠。これって統合失調症とかの薬、これは流石に精神科医の主治医に聞いていた。神経が高ぶっている人にも出す薬だと。只、私の見解では、亡くなった妻が時たま現れる話をしていたので、これが出たのかな?と。
最初は【呪怨】の貞子みたいに出てきたので「恨んでいるのか?ごめんな」と言葉に出した。次に出てきた時は、耳元で私の名前を呼んだ、何回か呼ばれたが「ごめん、気配は解っても今、君のことを見えないの」と話した。それからは昔の特別に幸せだった期間の妻の顔で添い寝をするようになった。「ごめんな、助けられなくって」と毎回言葉にした。『もしかして亡くなったのを気づいてないのかも』と気にし始めながら。
本日の睡眠:21:50~05:56 風呂:〇 体重:72.0
本日の食事:朝:納豆たまご海苔の佃煮ごはん
昼:メンチカツ、ニンニク漬け、ごはん、カット野菜、豆腐とほうれん草のすまし汁
夜:豚キムチ炒め、ニンニク漬け、ごはん、カット野菜、豆腐とほうれん草のすまし汁