記事が前後しているが、

書きかけた外泊の話をしたいと思う。


外泊の1番の目的は、旅行に行くこと。

2日目は白浜へ出発!


旦那は息子が起きてきて、白浜へ行けるとは

半分思っていなかったらしい。

なんなら行けたことは奇跡だと話していた。


私は100%連れていくつもりだったけれど。

娘には旅行に行った思い出がないから。


這いつくばってでも行く、と言っていた私は

割と平気で。


ゲームセンターで少しお金をあげて、

とれなかった。

悔しいけど仕方がないねという経験をした子どもたち。


ホテルについたら、まずカラオケを予約して

フリードリンクをもらいに行き、

食べ放題のアイスキャンディも食べた。


カラオケでは、それぞれが歌いたい曲を歌っていたが、

大半が私だけわからない曲だった。


そりゃそうだ。

半年も別々に暮らしていれば

聞いている曲も変わる。



この瞬間に、

私は孤独を感じた。



あと、3人は旅行の際に同じカバンを持っていた。

当然のように、私のだけなかった。



ここでも疎外感を感じた。



仕方ない。

私は入院していたのだから。


わからなくて当然だし、

私の分なんてなくて当たり前。


そう思おうとはした。


私がアンジェラアキの手紙を歌うと、

息子が喚き出した。


帰りたい、帰りたい。

と言う。


曲を止めた。

息子は歌詞に反応していたようだった。

それにきづいた私は偉いと思う。


ただ、その瞬間に私の心は折れかかった。

ひねくれて、私が歌いたい歌を歌う時間じゃないから仕方ないと思うしかなかった。


寝るときには、ぐったり疲れてしまったので

旦那に寝かしつけを任せて耳栓をした。

そうしないと翌朝私は起き上がれない。


子どもたちにも説明して、私はアイマスクもした。

眠れるはずがなかった。


煌々とついているあかりに、

騒がしい声。

耳栓なんて、音が小さくなるだけで

なんの役にも立たなかった。



翌朝、起きてバイキングで食べ、

アドベンチャーワールドに向かったが、

息子が嫌がった。


仕方がないので私と娘だけ入場口に並んで、

先に行った。

息子は耳を塞いで怖いと言っていた。


私にはわからない。

行けば楽しいだろうに。


娘に思い出を、とそればかり考えていた私。

パンダのポップコーンを買った。

食べながら歩いて、パンダを眺めた。


娘はあまり興味を示さなかった。

それよりも、遊具で遊んだり、

ジェットコースターに乗りたいと行ったので、

2人で乗った。

遊具もお金を出して遊ばせてあげた。

一緒にはしゃぐ元気はなかったが、

はしゃいで遊ぶ娘の動画をひたすら撮り、私は嬉しかった。


そのうち息子がゴーカートに乗るために園内に入って来た。

息子はキリンが見たいと言ったが、かなり端っこだと知って辞めた。


おみやげにかわいいぬいぐるみを買った。


帰りの車内では子どもと私は眠ってしまった。

もう、体力の限界だった。


帰ったらすぐに私の洗濯物を優先的に洗い、

病院に帰る準備をして、倒れ込むようにして寝た。


翌朝、起きられなかった。

体力も気力もなく、限界だった。


午前中に病院に戻りたかった私を

帰る時間やでと起こしてもらい、

なんとか病院にたどりついて、

ヘロヘロで、その日はお風呂には入らずに

ひたすら眠った。



そして病院に戻ってホッとしたと同時に、

私は息子とは生きていけないなと思い、

旦那は私を見てはいない。

気を遣ってはいるけれど、重荷になっている。

そう感じた。


子どもたちは、当たり前のように

旦那を頼ってなんでも声をかけていた。


これが、我が家の、私のいない半年間をすごくよく表していて、

私には居場所はないな、と感じた。


そこから、離婚というワードばかりが頭にチラつき、家族には興味関心を持てなくなった。


荒れた私の心境を知っても、

前にブログに書いたように、家族の誰も、今の私とは向き合ってはくれなかった。


ならば私も無になるしかない。


子どもたちは諦めるしかない。

私がお金を使い続ける限り、

みんなを苦しめる。


旦那は、私にまだ退院は早いんじゃないかと言った。

その言葉を聞いて、私は


帰って来てほしくないんだな、

入院してたほうが安心なんだろうな、

私は重荷でしかないんだ。


そう思うようになった。


そして、先日離婚を切り出した流れになる。


しばらくは実家に住むしか選択肢はない。

地震が来たら一緒に家と共に潰れてしまうのだろう。


だけど、親も一緒ならそれでいいか。

なんにも怖いものがなくなった。


あるとすれば、退院する怖さ。

それだけだ。

他はもう、なんだっていい。


なるようになれ。

いや、なるようにしかならない。



結局私が外泊をして得たのは

疎外感だった。


これが離婚の道への後押しをした。

もう未練はない。


娘の卒園式や入学式にも、

私は出席しない。


いないものとして育つ方がいいのではないか。

新しい母親になじめるように、

自ら身を引くことが必要な気がした。



私が使い込んだお金のせいで、

財産分与するお金もないという。


そうなるともう仕方ない。

障害年金が出ると信じて待つしかない。


今はそんな状況だったりする。