学校のカウンセラーと、

専門のカウンセラーが来るらしいと聞いた息子。

とりあえずその日だけは、

話を聞いてくれるから行こうかなという姿勢になる。


身バレしてしまうかもしれないし

もうすでにしてしまっているかもしれないが、

悩んでいる親御さんはきっとうちだけじゃないと思うので、本音で書いていくつもり。



さて、あれからの息子は、

専門のカウンセラーに会いに中学校に行ったそうだ。

カウンセリングにしては短いな、と思ったけれど、

なんだか深刻な顔をして帰ってきた。



「なんかしんどそうやなぁ」

「やっぱり学校はもう行けって言わないほうがいいね。」

と、旦那と顔を見合わせて、1人になりたいという息子をそっとしておいた。


就寝時間がきたが、息子は不安と闘っており

部屋を出たり入ったりしていた。


旦那が仕事で外出していたため、ゲームで紛らせたあと、

「お父さんと話したいから起きとく」

と言って起きて待っていた。


旦那が帰宅したあと、夜中に夫婦2人で息子に話をした。


「今日は帰ってきたとき、すごいしんどそうやったし、もう学校に行きなさいとか言わないから安心せて。行かなくてもなんとかなる。

今はゆっくり休んだらいいよ。

お母さんも入院したやろ?あれは、頭の中がパンクして、何にもできなくなってしまったからやねん。でも、お母さんが長いこと入院しちゃったから、帰ってきても治ってるわけじゃないって言われて、

これ以上悪くなったらあかんと思って我慢してたんやろ?」

というかんじのことを話した。


「入院しちゃってごめんな。」

と言った後、息子が激しく泣いた。

でも、すぐに泣き止もうと努力して、少し離れた場所に行ってしまった。


「お母さん、いないほうがいい?

ここにいてもいい?」


尋ねると、

「いてほしい」

と言った。


おそらくこれが息子の本心だとわかった私。


今まで、私自身がこれ以上悪くならないように

必死で、扉の先にある世界を

もがきながら切り離して生活してきた。


それを簡単に突破してきたのは、娘だった。

だから息子は、娘に対してイライラしていたのだろう。

娘はまだ我慢できる年齢ではなく、わかっていても自分の気持ちを優先する。

対する息子は、妹が生まれてからずっと、

我慢するようにして、私に遠慮をして過ごしてきていた。


しんどそうだから、これ以上しんどくなってほしくないから、お父さんに何回も入るなって言われてたから。

だからずっと、妹はずるいって思ってた。



そういわれたとき、

妹が生まれて、面会にきたあとに

涙を拭いながらニコッと頑張って笑おうとする息子の顔を思い出した。


あぁ、あのときからこの子は

私に対して遠慮していたんだ。

私が息子に対して優しく接していなかったから

今があるんだ。

ちゃんと大事にしていることや、その姿を見せなきゃいけなかったんだ、と気づいた。


息子は、

「ほんまはめっちゃ泣きたいねん。でも、泣けないねん」

と何度か言っていた。


「今なら大丈夫。泣きたい時は泣いたらいいやん。なんで我慢するん?お母さんいるから大丈夫やで」

と言うと、泣いた。


私の愛情を感じ取れなかったんだな。

私が愛情のある態度で接してこなかったから。

保身しすぎていたから。

私のせいだ。

私のせいで、苦しめていたんだ。


そう気づいた。

その晩から、一緒に寝たり、

私の部屋に入ってくるようになった。

「学校で、友だちに笑って話したりとかするんがめっちゃしんどいねん。ほんまはもうそんなんしたくないねん。」

とも話してきた。


でも、

「まだ一つだけ、言いたいけど言えないことがある

話したら、もう…ほんまに学校に行けなくなっちゃうと思って。だから言わない。」



そう話していた内容が、翌日、

教頭から電話で明らかになった。


「昨日は話そうか悩んで話せなかったんですが、カウンセラーに、家にも学校にも居場所がない。

生きているのが嫌だ、という内容の話をしていたそうで、長引くと危険だと判断されて、急遽市の相談窓口につなぐこととなりました。」

と話していたらしい。


なるほど、それを家族には話せずにいたわけか。


あの子も、死にたいという気持ちを抱えていたのか。と、改めて感じた。



もがいているのに気づけなかった。

私がうつ病を盾に、息子を遠ざけていたからだ。


ごめんね。


素直にそう思った。


それから、私の気持ちや態度は、まっすぐに息子に向いている。

先日書いた私の息子に対する気持ちも本当だ。

でも、今は息子を助けてあげたいと感じている。


あの子は気持ちを表現するのも不器用で、

自分を後回しにするところがある。


本当に私に似ている。

だから嫌だったのだと、今ならはっきり言える。





自分を大切にできなければ、

人を大切にすることはできない。

自分を赦せない人は、

他人を本当の意味では赦せないのだな。


だから、マインドフルに気づいて、感じて、

ありのままを受け入れる必要があったのだと

改めてわかった気がした。



ここからは私の出番だ。

マインドフルネスを活かして、

入院生活を活かして、

ADHDのグレーだかなんだか知らないが、

二次障害を起こして苦しんでいる息子に、

愛情をそそぎながら、助ける番だと感じた。



学校なんかじゃない。

カウンセラーなんかじゃない。

私が受け止めてあげる番なんだ。


私だけじゃない。

家族みんなで、受け止めていこう。





そう決めた日から割と日がたっていて、

息子のユニフォームに、背番号やチームのマークと名前を2時間半かけて縫い付け、

「お母さんがんばったよー!!着てみて!」

と、頑張ったアピールと、頑張ったことを自分で認めて、自分と息子を労わりながら渡した。

息子はすごく嬉しそうに笑ってくれて、

照れ隠しのニヤニヤを隠すのに必死なときの表情をしていた。

週末、息子は活き活きと野球に夢中になっている。



平日は学校のことには触れずに、

私と話をしたり、

自由に私の部屋に来て、狭い私のベッドで2人で寝たりして過ごしている。

その中で、

「僕なー、学校に行けないのが悲しいねん

と、表現方法が変わった。

これは、一歩前進したのではないかと感じている。


時間はかかると思うけれど、信頼関係をこれから再構築していく気持ちでいる。


SMAPの夜空ノムコウが

今の我が家には流れている気がする。



ちなみに。

今後は、息子のためにできることを知るために、

旦那が話を聞いて、可能なサポートを受ける予定だ。



本当はだめなんだけど、一日の癒しに一杯飲みたくて買ったやつ。




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お買い物マラソンしなきゃですな。


あ、そうそう。

今は逆に妹がヤキモチを妬いていて、

我が家はてんやわんやです。


大変だよー。

どっちをたててもなんかが出てくるんだもんなー。

まぁでも、こうやって自分のこと以外に注力できるようになって、

私って回復してきてるよなぁと感じるのであった。