まずは大きな金のシャチホコがお出迎え。
名古屋のシンボル、金のシャチホコですが、廃藩置県後は、城から降ろされ、江戸やウィーン国際博覧会などあちこちを転々とまわり、見せ物になっていたのだそうです。当時の人々は巨大な金のシャチホコに腰を抜かしたのだそう。
https://www-art.aac.pref.aichi.jp/exhibition/000403.html
そして、展覧会のタイトルの「幻の愛知県博物館」
明治時代、大須に愛知県博物館があったそうです。
[引用]1910(明治43)年3~6月、「鶴舞公園」で開催された「第10回関西府県連合共進会」には、約263万人の入場者が訪れた。
「当地の製品を広く世間に知らしめ、モノづくりの発展に資する」という目的通り、名古屋市の産業の発展にも大きく寄与した。
[引用]1928(昭和3)年、昭和天皇の即位記念のほか生産の改善・商勢の拡大を目的として、「名古屋勧業協会」が主催する「御大典奉祝名古屋博覧会」が行われた。約3カ月の期間中、約194万人の入場者を集めた。「第10回関西府県連合共進会」に続いて、「鶴舞公園」が会場となった。
[引用]1937(昭和12)年に開催された「名古屋汎太平洋平和博覧会」は、産業の振興を目的として約480万人の入場者を集めた、戦前における日本最大級の博覧会である。
現在も港区役所前に残る「平和橋」は、博覧会のために造られたもので、当時は「堀川」と「中川運河」を結ぶ水路に架けられていた。
当時の絵葉書やパンフがとても興味深かったです。
レトロなデザインに惹かれます。
絵葉書「名古屋衛生博覧会」
絵葉書「ドイツ人戦時俘虜展覧会 」