いつのことだったか、はっきりとは思い出せませんが、
以前、義母に言われた言葉を思い出し、メンタルが崩壊しそうです。
夫の実家に帰省した時、
酒びたりで、アルツハイマー認知症の義父から、暴言を言われました。
限界だった私は、長男と夫の前で、泣いてしまいました。
それを見た義母は夫と二人で別室に行き、
「あんなに弱くては、子供育てていけへんやろ。ちょっっっと言われたくらいで、あんなんなって。
しかも、子供の前で泣くなんて。母親失格や。あんた、離婚しいや。」
夫は公務員なのですが、
「あんたの仕事やったら、他にもおるやろう。変わりはいくらでもおる。あかんかぁ?」
「ほなら、適当に見繕ってきたろうか?」
と夫と話してるのが、聞こえてきました。
せまい家なので、はっきり聞こえました。
最初は、自分の耳を疑いました。
聞かなかったことにしよう。
そう思いました。
でも、ちょっとしたことがきっかけで、思い出してしまいました。
当時は、いろいろ辛いことが重なっていた時期で、帰省などしたくなかったのですが、
義母には、
「嫁の務めやろ!旦那の実家帰るぐらいで辛いゆうてるなんて、嫁失格や!」
と陰で言われているので、
精神的にボロボロの中、子供たちを連れて帰省しました。
そこに来て、
タイミング悪く、酒に酔った義父と二人きりになってしまい、
「お父さんの具合は、どうなんや?」
「お兄さん、入院してるんやろ。どうしてるんや?」
と聞かれたので、
私が母を連れて行ってると事情を話したら、
すると、にやにやしながら、
「あんたが面倒見ればいいやんか?」
と言われました。
当時、父親が硬膜下血腫で倒れて入院し、その手続きやら、高齢の母を車で送迎したり、
精神障害で入院している兄の病院に洗濯物を取りに行ったりしてました。
長男が幼稚園に入園する直前の3月だったので、バタバタと入園準備にも追われていました。
また、長男は、多動(ADHD)気味で、そのころは常同行動が酷くて、
引き戸のドアを開けたり閉めたりを繰り返し、バン!、バン!っという大きな音をさせては、にやにやしていました。
また、部屋の中をぐるぐる走り回って、電車の音マネをしたり、奇声を発したりしてました。
それが原因で、アパートの管理会社から苦情が来ました。
8世帯ほどのアパートの住人達からは、ジロジロと好奇の目で部屋を覗かれ、外で会えば睨まれ、
外に出るのが怖くなりました。
夫の実家には、ゴールデンウィーク、お盆休み、年末年始の三回帰省していました。
新幹線を含めて片道3時間、かんしゃく、多動の長男を連れての移動は本当に苦痛でした。
HSPの自分の特性もあり、混雑する駅や電車に吐きそうになり、
緊張で不眠になりながら、夫の希望と義母の言う「嫁の務め」を果たすため、耐えていました。
義理両親の家なんて、言わば、他人の家です。
生活習慣も、衛生面での感覚も違います。
偏食の多い長男は、義母が作ったものは、ほとんど食べませんでした。
唯一、納豆、バナナは私が買いに行って食べさせていました。
関西生まれの義母は、納豆を食べない文化圏の人。
汚いものを見るような目で、長男の食べる様子を後ろから観察して、
「納豆、好きなんやなぁ。よう食べんなぁ。ばあばは、そのヌルヌルをきれぇーーーいに洗い流しても、
やっっっと一粒食べられるかどうか、ってとこやわあ。」
と言い残して去っていくのでした。
また、あまり掃除もしないのでしょうか、ほこりや髪の毛が目につき、布団は染みだらけで、何年ものなのかわからない。
夜は、古い布団の上に、古い毛布を敷いて寝るように言われました。
長男は、ヒョウダニやハウスダストのアレルギーがあって、夜になると咳と鼻づまりで眠れませんでした。
夜11時を過ぎても眠れなかったので、私が下になって、長男の体が布団に触れないようにして、寝かしつけました。
そんな私の苦労は知らない義母は、
「ほら、寝たやんか。眠くなれば寝るんや。気にしすぎやぁ。」
っと、言って去っていきました。
長くなったので、次に続きます。