秋山幸二が語る西武の黄金期「『必勝法・必敗法』という冊子があった」 | web Sportiva

 

1989年は、シーズン途中にオレステス・デストラーデが加入し、ハイペースで本塁打を量産した。

この3番秋山、4番清原、5番デストラーデと続くクリーンナップは、「AK砲」に続く「AKD砲」と呼ばれた。

秋山は初の打率3割を記録し、打率.301、31本塁打、31盗塁で、日本プロ野球史上5人目のトリプルスリーを達成した。

 

秋山幸二【後編】黄金時代西武の中核を担ったプルヒッター/プロ野球1980年代の名選手 | 野球コラム - 週刊ベースボールONLINE

 

福岡ダイエーホークス入り。その後は名監督に。