背番号物語】阪神「#5」北村照文、新庄剛志らから現役の近本光司へ。実は名将の出世ナンバーだった? | 野球コラム - 週刊ベースボールONLINE

1999年、野村克也監督就任1年目の阪神・安芸キャンプ。

名将は低迷する虎を「ID野球」でどう立て直してくれるのか? 

ファンが期待するなか、野村監督の目に留まったのが新庄だった。


野村監督が、新庄に「ピッチャーをやってみないか?」と持ちかけ、新庄は打撃練習とブルペンを掛け持ちすることになった。

報道陣が連日追いかけたのは言うまでもない。

「新庄投手」は紅白戦では打たれたが、3月のオープン戦で巨人相手に1イニング登板。元木大介・二岡智宏・後藤孝志をみごと3者凡退に打ち取ってみせた。

しかし、その試合の打席で新庄は左大腿筋を損傷。結局、公式戦での二刀流デビューは実現しなかった。

 

 

 

どんちゃん「公式戦でも新庄の二刀流が観たかったなぁ~」