この絵を見ていると、また違う想像にも駆り立てられます。
この円錐と円錐がくっついた形・・・
「砂時計」に見えませんか?
とすると、砂時計の砂の移動する場所、ガラスがちょうど究極に細くなる場所、
そこに「私」がいる、ということでしょうか。
砂時計は、上のガラスのふくらみにある砂が下のふくらみに落ちてしまう時間を、タイマー式に計るものですよね。
図にあてはめてみると、未来の時空にある砂が過去の時空に落ちていくってことですか?
未来から過去に流れる時間・・・
最近、苫別地英人さんの本、『努力はいらない!「夢」実現脳の作り方』を読みました。
派手な装丁に、むやみに大きい題字。
それに「努力はいらない」って、ウサン臭さ全開。
「なんだかなあ」
と思っていたのですが、出会えて本当によかったです。
苫別地さんも
「時間は未来から現在、過去へ向かって流れているのです。」
「あなたが今いる地点が現在とすると、あなたに向かって未来がどんどんやってきては、過去へと消えていっているのです。」
と書いていらっしゃいます。
(苫別地さんが、なぜ時間が未来から過去へ流れると考えているのかは、また、別の機会にでも書こうと思います。)
でも、一番心引かれたのは、「私」という存在の定義です。
苫別地さんは、
「私という存在を決めているものは、結局のところ、どれも「他者との関係」にまつわる情報」である。「つまり、自我というのは、すべて他者との関係によって定義される」
と書かれています。
そしてこの後です、しばたまがガーーーンときたのが。
「ここで重要なのは、「関係」というのは点と点とを結ぶ線につけた名称であり、点そのものには面積も体積もないということです。私という自我は、(・・・中略・・・)宇宙空間の座標軸の中の点が描くネットワークを指す、ということなんです。でも、その実体はといえば、中心は点ゆえに「ない」わけです。」
!!!

