アセンションカウンセラーのしほです。

 

 

 

今日は以前に見えた映像のお話を。

 

 

時々ですが…一瞬不思議な感覚になったり、あるいは不思議な映像を見ることがあります。

 

 

垣間見させられるという感じですので、普段の生活からは決して自分では想像すらできないものです。

 

 

 

 

今日はそのうちの1つをシェアしますね。

 

 

 

 

最初にパッと見えた…「見えた」というとすごい能力があるっぽく聴こえるので、敢えて「浮かんできた」という言葉に差し替えますが、その浮かんできたイメージは子供たちがいくつものグループに分かれて遊んでいる姿でした。

 

 

 

 

2人~3人ずつぐらいに分かれて「ごっこ遊び」です。

 

 

「おままごと」ですね。

 

 

大人の身振り素振りを真似して遊んでいる姿。

 

 

 

 

 

みんなレジャーシートを広げて、その狭いシートの中で「おままごと」しているんです。

 

 

ある子供たちはその遊びの中で「どうしてお父さんはいつもそうなの?」とお父さん役をしている子供に向かって言っていて、そのお父さん役の子供は「お前だっていつもちゃんとしていないだろ」とか口喧嘩をしています。

 

 

 

ある子供たちは違うレジャーシートで、子供役の子供に対して「お母さんはいつもあなたのことを心配しているの。だから、あなたに口うるさく言うのよ」などと言っていて、子供役の子供はしゅんとしています。

 

 

 

そんな風にまた違うレジャーシートでおままごとをしている子供は違う「場面設定」をして、嘆いたり喧嘩したり、ため息をついたりしていました。

 

 

 

 

私が浮かんできたイメージの中の子供たちの共通点はどの子もあまり笑ってはいなかった…。

 

 

 

 

どの子も笑ってはいないのだけれど、不思議とその遊び自体を楽しんでいるようでした。

 

 

だから、敢えてネガティブな「場面設定」をしているんですね。

 

 

どうやら、子供たちからすると、そうしたネガティブだなと思えることが「生きる」ことだと捉えているようなのです。

 

 

 

 

 

つまり、苦しむことが生きるということなんだという捉え方をしている?ような、そんな感じでした。

 

 

苦しむということがよく分からないし、生きるという本質も分かっていない子供たちはそうやって大人の真似をして遊んでいて、笑ってはいないけれどその遊びが楽しいんですね。

 

 

 

 

 

こうした子供たちの姿は、不思議ですが上から見降ろして捉えることのできたイメージでした。

 

 

下の方にいくつものグループの子供たちの姿が捉えられたんです。

 

 

つまり、普段の生活でちょっと見渡すと少し離れたところに誰かがいるという感じの、同じ空間にあって見える視界とは全く違います。

 

 

 

 

 

「これはいったい何???」とその子供たちの姿が見えて驚く私…。

 

 

 

 

そのイメージの意味するのが分からないと思った瞬間に「分かった!」という感覚。

 

 

これは、高次元から見た私たちの姿なんです。

 

 

 

 

狭いレジャーシートは、子供から見て認識される世界の広さ。

 

 

狭い世界観であることを指しているんですね。

 

 

高次元からすると、私たちの意識の広さが狭く、そのなかである場面をそれぞれが選択と設定をしているということ。

 

 

 

 

そして、選択した場面の中で敢えて苦しむことをお互いにやっている。

 

 

 

 

 

でもですね、、、これは高次元からすると、それはあくまで「おままごと」であり、場面を設定した単なる「ごっこ遊び」に過ぎないということらしいのです。

 

 

 

私たちは生きるということの本質を捉え違いしているんですね。

 

 

 

なにが言いたいかと言いますと、私たちは制限された意識の中で「不安」などの恐れをベースとして過ごすことを、「生きる」ことだと勘違いをしているということなんです。

 

 

 

 

「これを敢えてあなた方は選択して、そのようにして遊んでいるんですよ」ということ。

 

 

 

 

だから、私たちが本気で辛いなとか苦しいなと思って絶望していても、それは高次元からすると「楽しそうに遊んでいる」ようにしか見えていません。

 

 

 

なぜなら、その狭いレジャーシートの中でその制限された場面を敢えて選択しているのは、他の誰でもない「ワタシ」だからです。

 

 

 

高次元の存在は、そうした私たちからすれば成熟した「大人」と例えることができるかもしれません。

 

 

 

その「大人」が認識している生きるという本質は、自分らしく自由にのびのびとする在り方であり、そこには喜びしかないということ。

 

 

 

 

なのに、私たちはいつの間にか制限が当たり前であり、その当たり前から出ようとはしない。

 

 

そして、恐れの感情ベースに過ごすことが慣れっこになってしまっているんですよね。

 

 

でも、これは私たちが選択をしているんですよ。

 

 

 

 

制限を作っているものは、やはり「複雑性」です。

 

 

全てを複雑にして、難しく大変なようにする。

 

 

これが制限を創り出している素なんです。

 

 

 

 

敢えて複雑にすることで、こうした社会を生きるにあたって、いかに成功して豊かになるか?がこれまでの遊び方だったかもしれませんね。

 

 

 

 

 

これに対して真逆の「シンプル」は、自由やゆとり・楽さを生み出して、制限の緊張を解いて本質の捉え直しをすることができます。

 

 

 

 

つまり、発展性が出てくるということです。

 

 

 

 

 

本来はもっと簡単だし、楽だし、自由でのびのびとしても良い。

 

 

そのことで咎められることもなく、むしろその在り方こそが本来の在り方であり、自然なんですね。

 

 

 

 

そして、その在り方に立ち戻ったとき、始めて心からの笑顔が生まれる。

 

 

誰かが笑えばその隣にいる誰かも笑顔になれる。

 

 

 

 

狭いレジャーシートから出ることは、これまでの自分のタブーを侵すことになるほどの勇気が必要かもしれません。

 

 

 

これまでの「○○するべき」という観念。

 

 

 

 

それはあなたとあなたの大切な人を本当に幸せにしてきたでしょうか?

 

 

 

そして、その観念でいることが本当に安全で安心して過ごせてきたでしょうか?

 

 

 

「○○するべきではない」は本当にしちゃいけないことで、それはあなたを不幸にすることなんでしょうか?

 

 

 

 

 

制限された世界も、今目の前に反映されている現実も、全てはあなたが創り出したもの。

 

 

それなら、自由で笑顔で過ごせる世界も簡単に創り出すことができます。

 

 

なぜなら、あなたはクリエイターだからですニコ

 

 

 

なのに、あなたは敢えて「複雑」で「難しく」て、「大変」という価値観を大切にしています。

 

 

それを選択しているんです。

 

 

そして、「あーでもない」「こーでもない」と言っていることを繰り返す。

 

 

それが今までの遊び方でした、これまでは。

 

 

 

 

 

でも、今はその遊び方を変化させていくときです。

 

 

もうその遊び方は、飽き飽きするほど遊びつくしたように思いませんか?

 

 

 

 

 

もし、そう思われるなら、まず複雑性をクリアにしていく必要があります。

 

それは、全てにおいて「シンプル」を創り出すこと。

 

そして、そのシンプルさが心地良いと感じられるようになることです。

 

 

 

 

 

そうすれば、もっと違う選択肢が見えてくるようになります。

 

 

 

 

 

本来の私たちはどこまでも自由で、のびのびとしても良い。

 

 

もっと自分らしくあってもいい。

 

 

そして、どうせ遊ぶなら、「難しい・大変」を「面白い・簡単・楽しい」に変換していくゲームに設定し直して、そこから自分を豊かにしていくという遊び方に変えていきませんか?

 

 

 

 

これが「創造性」です。

 

 

もっと創造性を発揮していきましょう!

 

 

創造する、クリエイトするって楽しいですよウインク

 

 

 

 

 

これまでの複雑さを手放して、ぜひ簡単で楽で楽しいに常に変換し直してください。

 

 

 

そして、これからはもっと笑顔で面白く、楽しくを選択していきましょう!

 

 

 

あなたは偉大なクリエイターです!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは楽しい週末をお過ごしくださいニコニコ