過去の今にある幸せを感じる時期を振り返ってみたら、

 

何か思うことあるかな、とふと考えたので、

 

ちょとやってみよう。

 

 

第1話『小学生時代』

 

私の小学生時代はファミコン全盛期でした。

 

あの頃って、みんなが同じソフトだけ持っているってことってあまりなくて、

 

なぜかみんな別々のソフトを買うことが多かったんですよね。

 

なので、友達の家でいろんなゲームをすることが楽しかった思い出。

 

ただ、ドラクエに関してはほぼ全員やってましたね。

 

小2の時にドラクエ3が発売されました。

 

親に頼んで地元のスーパーの行列に一緒に並んだものの、

 

朝7時に到着では考えが甘く、買えなくて。

 

でもなぜかわからないけど購入券をその場で誰かに譲ってもらって、

 

買うことができたんです。あれなんだったんだろ。

 

当時はファミコンは1日1時間というのが我が家の決まり。

 

でも、その1時間が本当にたのしくて。

 

ドット絵に電子音の世界。当時の容量は2MB。

 

でもこの世界に浸かり、毎日1時間やって、小学校では友達と

 

やれどこまで進んだとかいうのをワイワイして。

 

家では1時間しかできないけど、無制限の友達の家に行けばもっとできると、

 

ソフト片手に友達の家に行ったりして。

 

クリアしてからも何度も何度もゾーマ倒しに行って。

 

うーん、今思い出してもたのしくなってきます。

 

まあ、小2なので人生の悩みなんてありませんでしたよ。

 

それに今とっても幸せだなあなんて思いもしませんでした。

 

そもそも幸せとか不幸とかいう概念を知らなかったのでは。

 

我が家は家はオンボロの借家でしたが、友達のピカピカの一軒家見ても

 

うちと比較してとか考えもしませんでしたし。

 

とにかく、比較することがなかったなあと思います。

 

まあ、前提として不自由ない生活が送れてってのがあるんですよね。

 

裕福とは言えませんが貧乏とも思いませんから。

 

あとは、明日学校行きたくないとかもありませんでしたね。

 

まあ、多少はあったかもですが、今みたいなのはないですね。

 

こう思い出してみルト、

 

「比較しない」

 

「のめり込めるものがあった」

 

「幸せとか不幸とかなく、この生活が当たり前と思っていた」

 

「基本的にやりたいことばかりしていた」

 

「制限はたくさんあってもそれがなかったらとか考えず、その範囲で生きるのが当たり前だった」

 

「自分はダメダみたいなこと考えたことなかった」

 

こんなとこでしょか。

 

もちろん子供ですから色々考えないのは当然です。

 

でも、大人になったらなぜ色々考える必要があるのでしょうか。本当にそこまで考え込む必要があるのでしょうか?

 

 

とりあえず、1記事書いてみました。

 

あの頃はよかったなあと嘆くだけではなくて、こんなかんじで見直してみようかなと思います。