『積極的治療の中止』

 

が宣言されてから2週間後に

Aさんは緊急入院されました。

 

抗がん剤の効果がないと言われて

自宅で療養されていた、60歳代のAさんは

突然のDIC(播種性血管内凝固症候群)を発症されました。

 

重篤な副作用です。

 

体中の粘膜からの出血と

脳出血による言語障害が出ていて

お話することができなくなっていました。

 

 

入院してからは、看護師が声をかけても知らんぷり

 

ケアはすべて拒否

 

主治医が話しかけても泣くばかり

 

白衣を着た者を見ると涙されるのです。

 

コミュニケーションがとれないということで

なんとか思いを聞き出してほしいと

緩和ケアチームとして担当していた私に連絡がありました。

 

「Aさん…」

声をかけますが

泣いておられます。

 

でも、こちらの言うことへの理解は示され

視線はちゃんと合うし

表情から伝わってくるものがありました。

何かを必死に訴えられているようなお顔でした。

 

 

私「予定外の入院になったのですね」

 

Aさん:・・・(涙)

 

私「入院したくなかった?」

「娘さんのことが心配?会いたいよね。」

 

Aさん:目を見開いて頷かれる、そして、スマホの画面に表示されている娘さんの名前を見つめられる

 

私「帰りたい?」

 

その言葉に、Aさんはハッとされた表情になりました。

おそらく、もう家に帰れることはないだろうと

これまでの経験からそう感じておられたのだと思います。

 

私「娘さんとも力を合わせて、何とか帰れるようにみんなで相談しますね。」

 

そうお伝えすると

嗚咽されるように泣かれ、何度も大きく頷かれました。

 

 

その当時、コロナの影響で面会制限となり始めた頃

 

家族の面会も容易にはできない状況でした。

 

主治医の見立てでは、生命予後予測は「日単位」といわれる、明日明後日どうなるかわからないといった状態。

 

とにかく、Aさんは自宅に帰ることを切望されていました。

娘さんとの時間を過ごすために。

 

娘さんは娘さんで、母であるAさんのことが心配で心配で…

面会できないことで、Aさんに会えないことに落胆していました。

 

主治医は、死期が迫っていることを予測しながら

『今の状態じゃ帰れないでしょ。もう少し元気になったら…もうちょっと体調がよくなったら。娘さんもこんな状態で帰ってこられたら不安でしょ。』

って言うんです。

 

入院していてよくなることはないと感じました。

なので、Aさんが帰りたがっていることと、娘さんもそれを切望されていることを話し合い、在宅で訪問看護にサポートしてもらうこと、帰るんだったら一日でも早い方がいいと思うことを、主治医と相談しました。

 

訪問看護で看取りを支えてもらおうと、連携をとったところ

とてもスピーディに対応してくださり

それから2日後に自宅退院。

2日間家族で過ごされ、家族の見守る中、旅立たれたということを後日連絡いただきました。

 

これが、コロナ禍でなければ、入院が継続されていたでしょう。おそらく。きっと。

 

入院がBestではないはずです。

 

医師の言うところの

 

もう少し元気になったら

体力が回復したら

 

抗がん剤の副作用で

治療が継続できない時にもよく登場します。

 

医療をそのまま自宅で行おうとするから

退院ができなかったりします。

 

入院することで

 

家族と過ごす時間がとれない

特に今は、コロナの影響で入院しても自由に面会ができない

 

なんと不自由な状況なのでしょうか。

 

 

入院生活は自由を奪われます。

プライバシーも守られているようでないようなものです。

 

言葉を発することができなかったAさんは

 

全身全霊で入院生活を拒否

退院を実現させ

自宅で最期を過ごすことを全うされたのです。

Aさんの生命の原動力となる霊魂の叫びだったのでしょう。

 

入院生活は不自然だったのです。

 

 


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