私は、人見知りがあって、ほんとに行くまで、ドキドキ😵💓
やっぱり、やめようか。と思ってしまったり。
顔には出さない性格なので、周りの人にはわかりませんが、とても勇気のいることなんです。はい❗とっても❗
でも主催してくださった廣田さんは、笑顔で🤭迎えて下さって、緊張感が薄れていきました。
しばらくすると、工藤清敏先生が、登場されて私は、あっ、Facebookで見るお顔と、一緒だと、思いました。
(田舎者丸出しです。)
お塩がないと、人間は生きていけません。戦国時代、相手に勝とうと思ったら塩を断ったらいいと言われました。牢屋の中で塩を与えないのが最も重い刑罰だともおっしゃいました。それほど重要な塩なのに、何で減塩というのでしょうか?
もしかして、日本人には塩を与えないでおこうと、いじめてるのではないかな?
工藤清敏先生は、戦後日本は戦争に負けたでしょう。
とおっしゃった言葉になるほどと思いました。
ルネ-カントンが人間の成分と海の成分がほとんど同じで、輸血も海水でできるかもと考えた人なんだそう。
私は、この人は、知らなかったな。
本当に人のためにしている人こそ世に知られるべきなのに、それほど有名じゃないなんて、どこかおかしい
山口県防府市も昔三田尻塩田があったことは、学校で習いました。塩を作るのは、手間ひまかけて大変だったでしょう。
この、三田尻塩田で作られたお塩は日本全国に運ばれたそうな。それほど盛んだったそうです。
でも、簡単に塩が作れるようになって、(本当のお塩は、簡単に作れないよ❗)衰退してきて、また、1971年4月.「塩業近代化臨時措置法」という法律が成立しました。
この結果、日本で伝統的に自然塩を作っていた塩田を全部廃止して、工業的に作られた化学塩のみが生産されるようになりました。
高度経済成長の工業化の中、塩田に使っていた土地は工場に、そして工業用にはコストの高い自然塩ではなく、工業的に安く作れる化学塩が必要だったようです。しかも、塩田廃止と共に、塩は、専売になったので化学塩以外のものを手に入れる選択肢は無くなってしまったということなんです。
そんな中でも自然塩の大切さを、知った方たちが、伝統的な塩の製法を守り続けてくれていました。1997年に、塩の製造販売は自由化されました❗
こうして、もう一度、国産の自然塩が復活して流通しています。
みんなが元気になるように、とのことで工藤清敏先生はお塩を作られています。嬉しいことです☺️
これからの工藤先生の抱負で、コロナ禍がなかったらフランスに行っていたとおっしゃってました❗コロナ禍が終わったらフランスに行かれるそうで、
そのお話をお聞きしているとき、工藤先生が、本当にフランス人に見えたのです。
コロナ禍がなかったら、私は本当の良い塩に会えてなかったと思うし、こうしてお話し会にも行くことはなかっただろうなと思いました。
私が当日買ったものです。あと、大豆のお菓子も買ったのですが、母が、美味しいと言って、、、写真とり損ねました。
たくさんの出会いに感謝です。
ありがとうございました