ゴールデンウィークという名がついたのは、いつからでしょうか?
私の子供の頃は、5月というと、お米作りの準備で忙しかったのを覚えています。
苗箱作りは、新聞紙をしいて、その上に土をきれいに平らにのせて、という風に覚えています。
なので、この時期に遊びに行くということじたい、贅沢であり、めったにないこととして記憶してます。
兼業農家なので、父も母も別に仕事があるなか農作業をしておりました。だけど、私が子供の時は親がどんなに大変であったか、ちっともわかりませんでした😅
今になって、ようやくわかる次第です。なんと、情けない。ショボーンショボーン
遊びに行きたい、遊びに行きたい。そればっかりでした。
父は長男なので、家を継ぐということが当たり前で、会社に勤めてはいましたが、家が農家なので、定時で帰らせてもらったりして田んぼ仕事に精を出していました。
母は、朝早くからパートみたいな仕事(ゴルフのキャディーさんしてました)で出かけ土日はいないことがよくありました。
そんな中でも私は夢がありました。何かというと、音楽です。
あの頃はテレビ番組では、歌謡曲がさかんでした。なので、庭で、空気入れをマイクに仕立てて歌ってました。爆笑
今の子供達の夢は、なんだろうって思ったとき、
夢持ってるのかな?と、不安になりました。
私の二男は、大学出たものの、背広着て満員電車揺られて会社に行って、上司のいうことをハイハイと聞いてというのは、イヤだというのです。
なので、今、アルバイト生活です。でも彼なりに、目標はあるみたいです。
それは、ビューティーなんだそう笑い泣き
はっ?と思いました。男もきれいにしないといけないんだそうで、彼はビューティーに関する資格を一つ取りました。もう一つ取るそうです。
今ごろの子は、突拍子もないこと考えるんだなぁと、思いました。
ちなみに彼は、大学時代は心理学専攻でした。
でもこれからは、大学出て、いいとこ就職してっていうのが、当てはまらなくなるのかなと思います。
4月に、二男とユニバーサルスタジオに行ったり、(大学時代アルバイトで働いていました)
京都の宇治や、清水寺に行きました。
良い思い出になりました。
二男が言うには、あまり長生きしたくないんだそう。
私はそれを聞いて悲しくえーんなりました。
今の世の中がそうさせているのかわかりませんが、40ぐらいで、もういいかな、と。
私は二男に、自分から命だけは断ったらいけんよ。と言いました。死んでも成仏できんから、ずっとこの辺をさ迷うようになるんよ。だから自分からは、してはいけないからね。と言いました。
誰でも希望を失わないで生きることは難しいです。
投げやりになったり、おちこんだり。
私はコロナ禍で、いろんな人との別れがありました。私、自ら遠ざかった人もあります。
でも、これからは良いことがある。と思って、思うようにして日々生活しています。
日日是好日。
1日1日を大事に。歳だから出来ないではなくて、この歳だから、時間に余裕が持てて、でき
るようになったことがあります。
いろんな人に出会って、生活していく上での勉強もして、この50代を終えたいです😃