撮り置きのチューリップと公園の桜です。

・閉じ込めし詩を吐き出すやチューリップ

  

・チューリップの陰より妖精出てきそふ

・観る人の心に語る桜かな

・ 満開を観るも見ざるも桜咲く

・公園の桜並木も満開にされど心を満たせぬ今年

 

15・人は何故残虐行為を行うのか?

 

   残虐行為も、菩薩の行いも、人の心の境涯の為せる仕業であります。

人の境涯を左右する思想(宗教)が人生を決定すると云っても過言ではないと思います。

当然、おおかたの人は、自己の持つ、培った思想で問題の無い生活を送っています。

宗教など心の弱い人の現実逃避にしか過ぎない、と思う方も居られます。

私自身も青春期に、生き方に迷い信仰に没頭しました。

幸か不幸かオウムの様な教団に誘われず、真っ当な?人生を歩めたと思います。

若い方が誤った宗教に勧誘されぬ警鐘として、この記事を書き始めました。

 

世界には四大宗教がありますが、分派等、日本だけでも数十万の大小の宗教があります。

神を絶対とする宗派は、人は神のシモベであり、神に逆らえば地獄へとか、古来は神に生贄まで人を捧げた残虐行為の風習までありました。

仏法においても、釈迦の膨大な経文を勝手な解釈で自宗の教義とする宗派もあります。

 

人を不幸にしたり残虐行為を許す神や仏はいないでしょう。

仏教は生命の尊厳を説き、永遠の生命、因果論等、生命科学の哲学です。

人は神にはなれません!勿論、偉人等をを神と崇める事は人の自由です。

然し仏教では、仏になれると云うのです。

死んで仏になるのではなく、仏道修行により、仏界と云う境涯を誰もが会得出来ると説きます。

 仏教では全ての人に仏界と云う尊極の境涯が有ると説きますから、当然でしょう!

 

釈迦も教祖も、会長も僧侶も総理も、全て人として平等で有ると云うのです。

一切、人としての差別は説いていません。

只、その人の持つ境涯に差があり、その差が生活の行動を決め人生の幸不幸を決定すると云うのです。

当然、一国の総理であれ十界を持ち、六道輪廻の範疇に心は変動します。

国を護ると云う菩薩の心も涌けば、自己を護ろうと云う畜生界の心も涌現します。

 

一番の残虐行為は戦争です。宗教、思想の違いで紛争も残虐行為も起こっています。

国主が修羅界、畜生界の境涯を涌現すれば、最大の残虐行為で有る戦争さえ現実となります。

地球民族主義「一切衆生我が子なり」の大慈悲の思想を拡散したいものです!(続く)

長文、お読みいただき有難う御座いました。m(_ _)m