09年7月12日(日)にまたふらりと1人で京都に行ってきました。春日井インターから7時45分に名神高速に入って丁度1時間の菩提寺PAでトイレ休憩をとりました。どこに最初に行こうか、考えた結果、京滋バイパスで宇治まで行くことにしました。
京都には学生のころアルバイトで何回も来ていましたが、平等院は一番忘れられない場所です。平等院でショッキングな連絡を受けてすぐに山形の実家に夜行で帰った思い出があります。
平等院には9時過ぎについて、結局お昼近くまでゆっくりみてました。
今回、初めて鳳凰堂の内部を拝観しました。
阿弥陀如来坐像は写真では観た事がありましたが、やはり本物はいいですね。一度は見ておくべきかな。
鳳翔館も初めて入りましたが、なかなか見所が多かったです。 間じかで梵鐘や鳳凰、菩薩像が鑑賞できるなんてうれしいですね。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
平等院
所在地 京都府宇治市宇治蓮華116
山号 朝日山
宗派 単立
本尊 阿弥陀如来
創建年 永承7年(1052年)
開基 藤原頼通、明尊(開山)
文化財 鳳凰堂、阿弥陀如来坐像ほか(国宝)
世界遺産
平等院(びょうどういん)は、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。山号を朝日山と称する。宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっている。本尊は阿弥陀如来、開基は藤原頼通、開山は明尊である。
歴史
平等院の創建
京都南郊の宇治の地は、『源氏物語』の「宇治十帖」の舞台であり、平安時代初期から貴族の別荘が営まれていた。現在の平等院の地は、9世紀末頃、光源氏のモデルとも言われる左大臣である嵯峨源氏の源融(みなもと の とおる)が営んだ別荘だったものが宇多天皇に渡り、天皇の孫である源重信を経て長徳4年(998年)、摂政藤原道長の別荘「宇治殿」となったものである。道長は万寿4年(1027年)に没し、その子の関白藤原頼通は永承7年(1052年)、宇治殿を寺院に改めた。これが平等院の始まりである。開山(初代執印)は小野道風の孫にあたり、園城寺長吏を務めた明尊である。創建時の本堂は、鳳凰堂の北方、宇治川の岸辺近くにあり大日如来を本尊としていたが、翌天喜元年(1053年)には、西方極楽浄土をこの世に出現させたような阿弥陀堂(現・鳳凰堂)が建立された。
浄土式庭園と鳳凰堂平安時代後期、日本では「末法思想」が広く信じられていた。釈尊の入滅(一般で言う「死去」)から2,000年目以降は、仏法がすたれ、天災人災が続き、世の中は乱れるとする思想である。平等院が創建された永承7年(1052年)は、当時の思想ではまさに「末法」の元年に当たっており、当時の貴族は極楽往生を願い、西方極楽浄土の教主とされる阿弥陀如来を祀る仏堂を盛んに造営した。
現在の平等院
現在の平等院は、天台宗系の最勝院(ともに鳳凰堂の西側にある)浄土宗の浄土院という2つの寺院が共同で管理している。浄土院は明応年間(1492年-1501年)、最勝院は承応3年(1654年)の創始であり、平等院が浄土・天台両宗の共同管理となったのは、天和元年(1681年)、寺社奉行の裁定によるものである。
1990年代以降、庭園の発掘調査・復元、鳳凰堂堂内装飾のコンピュータ・グラフィックスによる再現などが行われている。2001年にはそれまでの「宝物館」に代わり、「平等院ミュージアム鳳翔館」がオープンした。建築家栗生明は、鳳翔館(新建築2001年9月号)の設計で、日本芸術院賞を受賞している。
1996年から1997年にかけて、平等院の裏手に15階建てのマンション2棟が建ち、鳳凰堂の背景になってしまっている。創建当初からの風致が大きく損なわれ、これが景観法施行前の2002年に宇治市都市景観条例が制定されるきっかけとなった。当面の対策として平等院境内にクスノキが植樹されており、この木が高さ10メートルまで成長すると、鳳凰堂背景の景観を阻害しているマンションを完全に隠すことが期待されている[1]。





