子供は可愛い。
でも、私には息子が可愛いと思えない時期があった。
今、思えば育児ノイローゼかな?
とにかく手がかかる子だった。

今、思えば…障害があったからかな。
もちろん、健常の子にも苦労はある。
だけど、健常の子を育てるより、障がいある子供を育てるのは健常の子を育てる人達にはわからない苦労はある。

息子を育ての娘だから。
娘の時の子育てはすごく楽だった。
娘は健常児です。
健常児の子育てが楽だったからびっくりした。

障がい児を育てない人達には大変なんだろと思う。

話を戻して何をしても息子が可愛いと思えなかった。
そこで私が出した答え。
まず、仕事をすることにした。
こっちに引っ越して来て、友達もいない、息子と引きこもりになった。

孤独過ぎた。

だから、「ふっ」と思った。
「仕事しよう!」
とにかく誰でもいいから家族以外の人と話がしたかった。
息子と離れてる時間が欲しかった。

そこからかな。
徐々に気持ちが戻ってきた。
そこから市でやってる子育て支援に参加しに行った。
子供は自由に遊ばせて母親同士で話せる場所。
以外に楽しかったのは覚えてる。

徐々に「あれ?」と気づく。
三才検診で発達に遅れがあることを言われる。

そこから私の中で第2の戦いが始まった。
息子の障がいを受け入れる覚悟。
これから息子に今、以上に向き合わないといけない覚悟。

更なる孤独が私にのしかかる。
本当に辛かった。
私が思い描いた結婚とはちがってたから。
当時20代の私には現実を受け入れる覚悟は
すぐには出来なかった。

だって、障がいがある子供を育てることになるなんて、考えてもいないもん。

悩んだ。
なんで、うちなの。
私、何かした?
姑、旦那は私をせめた。
私は悪くない。
なんで、私なの!!

とことん悩み。
私が出した答え。

「この子殺して、私も死のう」ここにたどり着いた人は私だけじゃないと思う。

「この子殺して、私も死のう」は通る人は居ると思う。

でも、それは出来なかった。

そのあとからかな。
息子と向き合う覚悟が出来た時。
息子が無性に可愛いと少しづつ思えた。

今でも思うよ。
子供は親の気持ちを一番読み取ることが出来るんだろね。

そこから、息子も変わって行った。
無表情の息子が笑うようになった。
息子が少しづつ可愛いと思えるようになった。
ある日息子と教育テレビ見てる時。
歌でお母さんと子供がっぺとほっぺとをくっ付けてるのを見て。
「これだ!」と思った。

その日から息子と1日一回はほっぺとほっぺをくっつけてぎゅうをするようにした。
そうすることでなんだか、「今日も1日息子と向き合う」と思えた。

んで、現在。
中学二年の息子。
今でもほっぺしてます。
ちなみに小学生四年生の娘にもほっぺしてます。

四年生の娘はしてくれなくなる日が来るだろうなぁ。

ちなみに最初は。
「ほっぺ、ほっぺ」だったのですが。
娘が三才ぐらいの時に改名(笑)して。
「ほっぺぺ」になりました。
わりと娘の言うことは聞いてくれる、息子。
「ほっぺぺ」で反応してくれるので。
現在も「ほっぺぺ」です。
随分省略したでしょニヤリニヤリ

息子と共に成長出来て良かったと思う。

ありがとう。息子よ!

お母さんも成長出来ました❗️