追憶、追想、追跡。 | RYO-BLOG



先週、GOMAさんの「記憶展」に行きました。
GOMAさんはディジュリドゥという楽器奏者です。
昨年、交通事故に遭い、高次脳機能障害という主に脳の損傷によって起こされる様々な神経心理学的症状により"記憶"が断片的に失われてしまったそうです。

そしてGOMAさんが事故後、突然描き始めた絵を展示した個展が「記憶展」なのです。


とても、とてつもなく艶やかで美麗な作品でした。
でも、そこには、記憶を、無作為に消されてしまった苦悩や悲痛なども含まれているのかと思うと、ただただ綺麗、素敵、という言葉は何か違う感じがします。
自らの痛みや喪失によって作り出された作品は、ただの想像や妄想、カッコいいから、綺麗だから、という単純な一方通行で自分勝手に描かれた他の作品とは違うからでしょうか。

とは言え、記憶を失ったことの無い僕にはその痛み、不安、悲しみなぞ分かるはずもなく、ただただ、想像、妄想で言葉を綴り、それすらも何か違う感じがします。
分かったふりなぞ出来ないのです。

記憶を失う、損なわれるって一体どんな感じなのだろう。
ただただ、そんなことばかり考えています。

嫌な記憶、だけではなく、人為的ではなく、あくまでランダムに、公平に、大切なことも、楽しかったことも入れ混ぜた中を無作為に誰かが、何者かが何処かへ持っていってしまう、そんな死神のような残酷非道な奪取。


消したい、逃げたい、忘れたい、そんな過去の出来事、人物に後ろ髪をいつも引かれ、自己嫌悪、自己憎悪、そして自己陶酔してる自分。
人為的に抹殺しようとしてる自分。

生きる為に、自分が自分であるが為に、記憶を出来る限り操作しようと、こうではなかったと思い込む自分。


頭の中はごちゃごちゃのぐっちょぐちょです。
醜いな、と思うばかりです。


それでも、GOMAさんの、感極まるほどの艶やかで美麗な作品を見て、少し心が、頭が、僕の中の記憶が浄化された気がしました。


また機会があればGOMAさんの描いた作品を見たいです。



散漫な文章でごめんなさい。