天官賜福 三郎愛しの沼 慕情もかなり好き

天官賜福 三郎愛しの沼 慕情もかなり好き

三郎に一目惚れ
天官賜福愛で生きてる
墨香銅臭さま、あなたがこの世に生を受けてくださってよかった

みなさま、にんはおです。

暑くてたまんねー💦と思ってるのに、つい天官賜福アニメをリピートで毎日毎日見続けちゃって
「ぎゃー、三郎かわいすぎ!ヤバい」
「殿下美し過ぎなのにかわいいなんてあざと過ぎん!?(もちろん天然)」
「ぅ、うぉぅ。花城の、にやり口に射通される(・・;」

なんて、更にあっつあつになってる今日この頃です(笑)


今日観ていたのは、1期10話将軍と少女です。


前回のブログに書きましたが、三郎が
殿下が3たび飛翔して神官として天界に顕れるまで、ただじっと待っていた

なーーーんて
ありえないと思っているのです。

どこで見たのか忘れてしまいましたが、殿下があまりにも運が悪く
八百年三郎とすれ違っていたとの記事を読んだことがあります。

もしかしたら公式の記事ではなかったかもしれませぬ。

「すれ違っていた」
つまり
近くに居ながらも出会えてなかった
と言う事でしょう。

三郎は世の中の事をたくさん沢山知っています。

ただ書物で読んだけでは、細かいニュアンスまでは知り得ない事っていっぱいあると思うんです。
(百聞は一見にしかずって、そう言う意味ですよね)

それにねぇ
殿下の行方を三郎が探さない訳が無い
書物で読んだだけで済ます訳が無い

そこのところを感じられるのが、この回ではないでしょうか。



洞窟の中の石碑に描かれた校尉
その人となりはまさに殿下でしょう。

三郎が、この石碑の存在までは知らなかったとして
そこに記されている、将軍と呼ばれ親しまれた人がいた事はきっと知っていて
(この人は殿下ではないだろうか?)

それくらいには予想していたんじゃないかなぁ。


だから、商隊の人たちが
石碑の将軍の最期を笑ったときに

「笑ったんだから、拝ませておこう」
のセリフに繋がってると考えています。

そしてこの回の最も重要な(と、私が勝手に思ってる)部分は。


「その頃は花謝と」

との殿下の言葉のあとに

三郎が、ふっと笑うところ。

そこに隠されたセリフが

(「やっぱり」)


それを頭に入れて
1期10話を観てみてください。



ものすごく、すっきり腑に落ちません??

いやまぁ、私の妄想と言われたらそれまでにですが(;一_一)


天官賜福の制作スタッフはかなり原作者の意向を忠実に
そして抜かりなく
更にはネタバレしない程度で
作品化していると感じています。

小説では敢えて語らなかった部分を
原作に違わず補完していると思います。

どちらも素晴らしい!!

そして

これは私の勝手な活動なのですが
サブスクをやっていらっしゃる方は是非、サブスクで天官賜福を視聴して欲しいなと。

地味な再生回数稼ぎなのですが、ちょっとでも3期に繋がる事を願って。


いやもう
花城と殿下の、水中キスシーンをアニメで観たい!!
ただそれだけ(笑)
みなさまー、にんはおです!
気付いたらもう8月!!
早い、早すぎる…。

フェイくんのご実家に、年末に中国にご招待いただいたのだけど、
うぅう、行けそうにナイ…(泣)
お義父さん、お義母さん
申しわけありませぬm(_ _)m

あの紅い婚礼衣装
持って帰りたかったのだけど
紅い(もしかしたら紅いのは注文になるかも)ユシガサも欲しかったのだけど

今の私の状況がそれを許さないので、もう少し
もう少し待ってくださいませ~。



さて
毎日毎日
サブスクで天官賜福をリピートで観ているのですが
(あえてサブスクで観るのは、再生数を稼ぐためw3期に繋がればとの姑息な老婆心です)

本編で(アニメと日本語訳小説)はさらっと流されて
まるで当たり前みたいに語られていますが

三郎の
「なんでも知ってる」
って、普通じゃないと思うんです。



そもそも!

世に溢れる
アラブのシークとか
強国の王太子とか
財閥の後継者とか

物語のスパダリと
天官賜福の三郎とは
似て非なるモノです。


どこかの何かで読んだ
「花城の異様なスパダリ力に驚く」
って記事に
私は秘かに冷たい目を向けています。


三郎がどんな痛みを越えて来たか
どんなに殿下を探し求めて来たか

文章にも絵にも顕わされてはいません。


「ヒマだったから、色んな書物を読んだだけ」

三郎はそう言っていましたが

書物を読んだだけで
故国の失われた文字を読むことはもちろん
言語を理解すること
秘かな伝承を知ることは無理だと
想像に難くない。

あちこち探して歩いて
いろんな文化歴史に触れ
言葉を文字を覚え
殿下の事を語っていそうな
ありとあらゆる伝承を
時間に飽かせて何でも
どんな事でも
調べ知り記憶して

そうして出来上がった
全知全能の血雨探花でしょう?

三郎は殿下のスパダリになるために
それこそどんな痛みでも越えて来たんですよね。

「花城の異様なスパダリ力」
あたりめーだ
そこを目指して八百年努力してきたんだから

八百年諦めずに研鑽してきたのだから

「俺が何世にも亘って徳を修めて来たからこそ、その人に出会えたんだ」

三郎が自分の事をちょっとだけ語ったこの台詞

私は胸を射られるような気持ちでした。

八百年のながいながい想いと努力を、こんなひとことで語っちゃうか。



たったひとり
殿下のためだけのスパダリ

くうぅぅ!
尊過ぎるぅ〜。

みなさま、にんはおです。

個人差なのでしょうけど、1度読んだ小説、漫画(アニメも含む)は2度目は読まない見ないと仰る方が一定数いらっしゃるのは存じています。

「何故2度目を見ないのですか?」
と尋ねた事があります。
その答えは
「1度読んだら(見たら)十分だから。2度目見ても新しい発見はないから」
だそうです。


うわーーー、めっちゃ損してる‼

伏線回収って言葉がありますが、あれは最低2周目以降でないと
気付かないように、最初から計算されていて
地雷を仕掛けられているようなモノです。

地雷の多さ細かさは、読み手がどれだけ深く
作者の世界に潜るかで発見出来る事象が変わってくると思うんです。


私はこの作品の日本語訳までしか読んでいません。
それ以降の知識は、自分が疑問に思った事を調べたり
魔翻訳やご自分で意訳された、愛溢れるブログ主さまの情報提供を、ありがたーく拝見させていただいた
謂わば2次創作に近い感想なのです。

(久しぶりに漫画描きたい、本出したいと思ってしまったw)

私は(今の知識で)こう思う感じる事を書いていきたいと思います。

ネタバレ含みます。
1度しか読みたくない方はどうかここでお引き返しくださいませ。

今回は帝君について、考察していきたいと思います。


帝君吾君は、太子殿下の「この身は無間、心は桃源」と言う言葉に激怒して、殿下を追い詰めたと考察されていらっしゃる方が多いと思います(若しくは、4巻以降にそんな描写があったのでは?と)。

激怒?
激怒…
そうなのかなぁ??


最初はムカっとしたかもしれません。
でも吾君が、殿下を本当に追い詰めているようには、私は思えません。

むしろ
これはどうだ?これならどうだ?と、自分が越えられなかったモノを突き付けて
殿下がどう乗り越えるか、またはどう堕ちて行くかを見たかった知りたかったのでは?

殿下が堕ちて汚れて闇に染まるなら、自分と同類として側に

どんな泥濘みでもいつか乗り越えられる(かつて自分もそうありたいと願ったように)なら、自分を斃すことの出来るただひとりの存在として

憧れ期待し、反面堕落を望んだ
歪んだ愛の対象なのでは!?

そんな風に感じてしまいます。

私がそう思ったのは、君吾の(小説3巻)
「君はいつも奇跡を起こすのだな」
の台詞です。

心底嫌っていたなら、こんな言葉は出ないのでは。

染みわたるように
殿下と自分の違いを噛み締めていたのでは?

そんな風に感じてしまいました。

大体
半月関から来たと言う、あの空殻。
こいつは一体誰が差し向けたの?
(この件は多分三郎も薄々気付いてた)
何故風師と殿下をさりげなく近づけた?

偶然な訳が無い。

誰か強力な法力を持つ存在が、裏で関わっている。

では、その目的は!?


自分の側に置いてもいい。
自分を斃すならなおいい。


そこに三郎と対極の
深い深い愛と憧れを

私は感じ取ってしまうのです。



天官賜福の沼は深い。

この沼の泥
美肌効果ありません??(笑)

なんか最近お肌がツヤツヤしてきたような??

気のせいか
それとも枯れかけた女性ホルモンが湧き出てきたのか…

ありがたや
ありがたや
愛の沼はどこまでも正義。