とりあえず体動かさない事だけでも自己嫌悪が蓄積するアラフォーのメンタル

これが頻度や強度を上げればあげるほど軽減されるのも根本的に大きい。

それに実際体を動かしたあとは爽快であることは間違いない。

よく、「筋肉は裏切らない」というけど、多分「心拍数Upは裏切らない」も真だと思う。

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私は現在いわゆる駐妻であり、日本で仕事をしていたときに比べれば時間があり、つ

いついニュース深読みやネットサーフィンしてしまうことが多かった。

 

コロナ禍というただでさえ異常事態の最中に渡航し、その後じゃあ世界が明るくなったかというと

コロナ禍が終わっても、少なくともニュースを見る限り、政治も経済も国際情勢も明らかに前向きな話はほとんどない。

円安も進み、渡航時より1€にして40円以上値下がりしている。異常。母国の貧乏を毎日痛感する羽目になっている。

日本で商品の値上げニュースをよくやっているが、正直、居住国はナチュラルに全てがそれより高い。

働き方改革の話も自分の業種に関わる話はかなりひどい。

 

正直、母国に愛情はあるものの帰国しても先の明るさが感じられない国となっている日本・・・

挙句、何か世界情勢が間違えば三次大戦だっててんでお門違いな話とも言えなくなっている。

今まで当たり前に生きてた世界が死ぬまで維持されるとは思えないとひしひしと感じる。

その他、もっと小規模なニュースでもいわゆる共感疲労というのもあった。

 

そんなこんなで実は結構心が削がれていた。とはいえ、一人でいる時間もそれなりにあり、たとえ家事をしていても

負の思考を断ち切るきっかけがあまりない。

 

唯一、語学学校やトレーニングしてる時間はそういうことを忘れていたのだが、そこにヨガ行く時間が増えたら、

必然的に負の思考に陥る時間が減り、それが閾値に達した感があった。

(ちなみに鬱々として語学学校の予復習がままならないことはあった。)

よってヨガであることの必然性は、ある意味、なかったかもしれない。

が、ヨガスタジオでは「スマホも時計も持たない=インストラクターが終了を告げるまでは何も考えなくていい」「やることは指示される=自分で思考しなくていい」という強制的状況ゆえ、それがハードめのヨガであってもある意味私にとっては脳の安息の時間となっていた可能性はある。

ヨガの根本的な効用とかスピリチュアルなものとかそういう高尚なレベルの話では全くなく、もっと物理的な次元で(笑)

 

そして英語でクラスを受けているため全てを聞き取れているわけではない=気になって日本語レベルで色々調べてみる

→必然的に、パソコン開けてもニュース見る時間が減った(全く見ないわけではないが)。

ニュースを見ないのは非知識人だという強迫観念が実はあるのだが、もう病むくらいなら見ないほうが正義。

 

ちなみに、クラスの終わりには大体どのインストラクターも「Have a nice evening」とか「I hope you have a wonderful ○○day」など言ってくれるのだが、こんなのは決まり文句で、よく考えたら日本でもインストラクターが言ってくれてたと思うのだが、なにせ、「未来に希望を見出せない」メンタルだった最近の私には妙にこの決まり文句が毎回心に響くようになった。

夜遅く終了するクラスでHave a nice eveningとか言われると「え?もうシャワー浴びて寝るだけだよ」って時間だけど「待てよ、今日が終わるまでのあと2時間半だけど、その2時間半ですら有意義に過ごす術があるのかもしれない」とか「そうか、今日は素晴らしくあるべきだよな」などちょっとふと思うきっかけになったり。

おそらく言ってる側はそこまで深く考えてないに違いないと思うのだが(笑)

 

というわけで、

今日を無事に生きられた、神様ありがとう。明日も平和に生きられますよう・・・の境地で今は生きている。