大神神社の創祀については、古事記や日本書紀に記されている。


大国主神とともに国造りを行っていた少名毘古那神が常世の国へ去り、大国主神がこれからどうやってこの国を造って行けば良いのかと思い悩んでいた時に、海の向こうから光り輝く神が現れて、我を倭の青垣の東の山の上に奉れば、国造りはうまく行くと言い、大国主神はこの神を祀ることで国造りを終えた。この山が三輪山とされる。この神が大物主神である。








幽玄とは、美しく柔和な姿という意味。音曲の美しさ、姿が美しく静かに舞う姿などが、幽玄。世阿弥が「花鏡」の中で、「能では、幽玄の姿であることが、第一に大事なことである」と述べた。


しかし、ここにある幽玄は、現世(うつしよ)と幽世(かくりよ)で言うような、幽玄であるような気がする。ここから先、現世ではない別な空間であると。福田青山師の筆。








古事記によると、勢夜陀多良比売という美人を気に入った大物主神は、赤い丹塗り矢に姿を変え、勢夜陀多良比売が用を出しに来る頃を見計らって川の上流から流れて行き、彼女の下を流れていくときに、ほと(陰所)を突いた。彼女が驚き、自分の部屋の床にこの矢を置くと、麗しい男の姿に戻った。こうして二人は結ばれて、生まれた子供が神武天皇の妃となったという。なかなかな出会い方で、おとーさん、娘に言うの恥ずかしかっただろうと推察致します。






大神神社

奈良県桜井市三輪1422