上野戦争は戊辰戦争の戦闘の1つ。慶応4年(1868年)。江戸上野において、旧幕府軍と新政府軍の間で行われた戦いである。


上野戦争、wikipediaより


江戸城無血開城の後、旧幕府軍の残党が東叡山寛永寺に集まって過激化していく。新政府軍は討伐を正式に決定。大村益次郎が指揮することとなった。


作戦会議で西郷隆盛は大村の意見を採用したが、薩摩軍の配置を見て「皆殺しになさる気ですか」と問うと、大村は「そうです」と、にべもなく答えたという。


慶応4年5月15日(1868年7月4日)、新政府軍側から宣戦布告がされ、午前7時頃に両軍は激突した。午後5時には戦闘は終結。旧幕府軍はほぼ全滅し、残党は根岸方面に敗走した。戦闘中に江戸城内にいた大村が時計を見ながら新政府軍が勝利した頃合いであると予測し、また旧幕府軍残党の敗走路も、大村の予測通りであったとされる。


靖国神社にて、大村益次郎の像


大村益次郎は、日本陸軍の父。長州藩出身で蘭学にすぐれ、維新政府に参画して、近代的軍隊の基礎を作った。


大村益次郎の献策により、靖国神社の前身である招魂社が九段坂上に建立されることとなった。大村益次郎は彼に反感を持つ士族らに京都で襲われて重傷を負い、招魂社創建直後の明治2年に大阪で没した。享年47歳。大村益次郎を写した写真は発見されていないが、靖国神社の銅像を見た夫人はそっくりであると証言したと言われている。