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上海鑑賞日記(主にクラシック)

上海生活の合間に聴いた音楽や見たスポーツなどの記録を残します。

日時:2024年7月24日(水)19:00~

会場:東京オペラシティコンサートホール

指揮:ダン・エッティンガー

演奏:東京都交響楽団

独奏:阪田知樹

曲目:

モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466

ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調WAB104「ロマンティック」

(ノヴァーク版:1878/80年版第2稿)

 

 

感想:

 ブルックナーの演奏会を追いかけて東フィルの演奏会を訪れてきた。

 会場は初台の東京オペラシティ。

 

 東フィル自体は東京でもメジャーなオケなので、それなりの位置を占めているとは思うが、実は私自身は過去に訪れた記憶を思い出せず、全くゼロということはないと思うが、何となく私のテリトリー外のオケとなっていた。

 そんなオケへの久々(多分?)の訪問である。

 

 指揮はこのオケの桂冠指揮者のダン・エッティンガー氏。

 イスラエル出身の私と同世代の指揮者で、主に欧州のオペラ畑を歩いてきたようで、そういった経歴のため新国立劇場でオペラも担う東フィルに縁があるのかなと推測する。

 さて、前半はモーツアルトのピアノコンチェルトの20番でソリストは阪田知樹さん。

 阪田さんはリスト国際ピアノコンクールで1位を得たほか、数々のコンクールで1位を取っている実績十分なピアニスト。

 演奏はモーツァルトらしからぬと言えるほどの重く分厚いオケの響きでスタートする。

 よく見るとコントラバスが4人入っていて、チェロ5人に比較してやや重心の低い編成で分厚い音はこれが原因のようだ。

 そしてピアノが入ってくるが、タッチは比較的厚めでキラキラ系ではなく、ポロンポロンとしっかりと音を鳴らすスタイルである。

 残念ながら今回座った席が良くなく、演奏時の表情や指捌きなどは確認することが出来なかったが、聴いている限りではテクニックも申し分なく、表現力も十分持っていて会場に彼のピアノの音色が響き渡っていた。

 オケの側で目立ったのはオーボエで、モーツァルト的な香りをしっかりとオケにもたらしており、アイスクリームに載せたミントの葉の如く絶妙なアクセントを与えてくれた。

 緩徐楽章の第2楽章は、優しいモーツァルト的な特徴が存分に出た楽章で、ここではクラリネットの響きが印象的だった。

 そして第3楽章もバランスの取れた演奏が展開され、モーツァルトワールド全開である。

 ただ質が良すぎるのかウィット的な要素に欠け、パッション的な要素のあまり見えない分だけ、深く引き込まれる演奏にはなりきれなかったのも確かで、響きや音色を楽しむ範囲にとどまってしまったのがちょっと残念ではあった。

 それ故か、終演後の拍手はあれど、声は飛ばなかった。

 アンコールとしてマルチェッロの曲をバッハが編曲したオーボエ協奏曲の第2楽章が演奏され(もちろんピアノで)、このピアニストの質の良さを改めて確認した。

 

 後半はブルックナーのロマンティックで、今月2回目である。

スタートのトレモロは弱いかなと感じていたところに、ホルンがバランスを破って飛び込んでくる。

 私は遠くから徐々に入ってくるようなイメージが好きなのだが、どうもそういう演奏は少ない。

 その後はテンポが速めで展開され、フレーズの合間にテンポが落ちるような曲の運び方である。

 オケのドライブとしては申し分なく、素晴らしい音色で奏でられていたと思うが、どうしても曲の流れに身を預け切らない。

 こちらの感情のカーブに、曲のうねりのリズムがうまく一致しないのだ。

 指揮者の動きはきちんとメリハリをつけながらリズムを刻んでいるが、何となく職人的で音楽が体から溢れているという感じではない気がした。

 いわゆるヒューマナイズ的な部分が故意的なのである。

 それでも音楽としてしっかり構成されているので、しっかりとした演出された演奏には聴こえるが、心への響きは弱い。

 そのまま第1楽章を終えるが、慌てて楽章間にプログラムを読み直して、上述のオペラ畑の経歴を確認して、ようやく今回の演奏の質に合点がいった。

 要するに彼はオペラ指揮者であり、主役は歌手であることから歌手を盛り立てる情景演出な演奏が染みついており、そういった演奏になっていたということである。

 しかしコンサートではオケ自体が表現主体であることから、オケ側(指揮者)が主体として表現すべきなのだが、そうではなかったようだ。

 そこを理解して第2楽章以降を聴き始めると、納得感がいった。

 まるで舞台上に役者が別にいてそれを盛り立てているかのように黒子に徹したような演奏に聴こえて来る。

 指揮振りも感情をこめて熱くなるというより、音楽が先走らないにように冷静に場面をつないでいると印象で、演奏の質そのものは高いが聴衆の気持ちが音楽にシンクロしないのである。

 そして第3楽章も同様で、騎馬隊でも登場してくるかのような盛り上げを作って場を盛り立てるが、聴衆として心を預ける的がない感じだ。

 指揮者がしっかりとオケをドライブしているのはよくわかるが、自分を消して整えに徹しすぎて、フレーズの中のリズムは崩さず、最後だけ余韻を残すようなリズムの置き方になる。

 恐らくこの方が歌手は歌いやすいので、その癖が出ているような印象だ。

 そのまま第4楽章も変わらず、リズムをしっかり刻んでオケをきちんと整えているが、クライマックスの作り方が理性的で熱くなり切れない。

 もちろん盛り上げ方は大したものだが、やはり感情移入する主体がそこにはないなという印象である。

 最後のコーダで、チェリビダッケばりの弦の刻みが入って来た時はちょっと驚いたが、結局、壮大な劇が幕を閉じたような印象でフィナーレを迎えた。

 演奏の質が高かった割には聴衆の反応は熱さに欠けた印象で、十分な満足を得ていなかったようである。

 私も同様で、もう少しのめり込めるブルックナーを聴きたかったのが感想である。