◆「聞く」と「聴く」・・・漠然ときく(きこえる)場合には「聞く」と書き、積極的に意識してきく場合には「聴く」と書きます。

◆檄(げき)を飛ばす・・・ 「檄」というのは、昔の中国で人を呼び集める主旨を記した木札で、「檄を飛ばす」の意味は、自分の主張や考えを広く人々に知らせて同意を求めることです。激励の意味や元気のない者に刺激をあたえる意味で用いるのは間違いです。

◆けりがつく・・・「けりがつく」というのは、困難な問題に悩まされてなんとか解決することです。自分で努力して決着させる場合は「けりをつける」と言います。ですから、よい結末で終わる場合には「けりがつく」とか「けりをつける」とは言いません。たとえば、「熱戦に次ぐ熱戦は、初優勝でけりがついた」などとは使いません。

◆姑息(こそく)・・・よく「姑息な真似をするな」というような言い方がされますが、「姑息」の意味は、「一時の間に合わせ、その場逃れ」ということです。「姑息」には、「卑怯」とか「ずるい」といった意味はないのです。

◆「探す」と「捜す」・・・「探す」は欲しいものを見つけようとすること、「捜す」は見えなくなったものを見つけようとすること。したがって、「息子の嫁を探す」は、息子の結婚相手を見つけようとする意味になりますが、「息子の嫁を捜す」と書くと、逃げ出したか行方不明になった息子の嫁を見つけようとする意味になってしまいます。

◆「制作」と「製作」・・・どちらも、何かをつくるという意味ですが、どのように使い分けるのでしょうか。「制」という漢字は、余分な木の枝を刀で切り落として整えることをあらわしています。一方、「製」は、「衣を制する」、すなわち衣服を仕立てる、ものをこしらえるという意味があります。したがって、「制作」は自分で考えて整え、定めるような場合に使い、「製作」は物をつくりだす、製造する場合に使います。

たとえば、芸術化が絵画や彫刻などの作品を生み出すのは「制作」で、工業製品をつくるのは「製作」です。

◆「精算」と「清算・・・「精算」は、金額を細かく計算して結果を出すことで、「運賃を精算する」とか「出張費を精算する」というようなときに使います。「清算」は、今までの貸し借りをすべて整理して後始末をつけることで、「会社を清算する」「清算人」などと使います。また、過去の関係に始末をつけるという意味もあります。「二人の関係を清算する」「不純な関係を清算する」などです。

◆「体制」と「態勢」・・・「体制」は長期的、「態勢」は短期的・部分的な内容を表します。たとえば、「生産体制」は長期的であり、「増産態勢」は短期的・部分的ですから、前者は「体制」と書き、後者は「態勢」と書きます。まったくの同音異義語であれば、実態に合わせて使い分ける必要があります。