人気ブログ「Lifehacking.jp」の「ブロガー必見! 文章上達のための 12 と1/2の..........≪続きを読む≫
こんな記事を見つけた。
自省もこめて、読んでみた。この文章は文章上達のための、ってなってるけど基本はエッセイとかそれこそブログみたいな文章を書くための、っぽいんだ。
……でもね。
途中何ヶ所も「んっ! はっ! ……ハイ、そうですね」とうなづかされることも多く、今更新の止まっているテキストなんかでも、なんとなく普段から思っていることを引っかかれた気分になったので、一応それについて書いてみる。
大体ね、どれもこれも同意なんだけど。
毎日書く。うん、ちょっとずつでも書くことは大事だと思うんだ。
書くのが飽きれば、そりゃぁそれを読まされる方はかなわんわな。自分は一番の自分の読者っていうしさ。
いつでもノートやペンを……
うん車にペン常備。
ぶら下がっているので、見た人に笑われたり驚かれたりする。仕事中はメモ必携なので、A7(多分)の付箋パッドをメモ代わりにしています。
中でも一番「うっ」と来たのは。
6番の文章を沢山書く人は文章を沢山読んでいる、かな。
この言葉自体はね、肯定でも否定でもないんだけど。
……その解説的言葉の中に、
以下引用
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文章を読むということは、感覚ではなくて、言葉を通して理解できるということでもあります。こうした「言葉からイメージを受け取る」という経験が、ひるがえって「イメージを言葉に翻訳する」という能力を生み出してくれるともいえます。
また触れたことのない漢字や表現を自分で書くこともできないのですから、
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引用ここまで
ここですね、一番感銘を受けたのは。
感覚というものは、誰の中にでもある。
それを伝える時の手段として言葉があるわけで、その「感覚」をどうやったら普遍的に、あるいは共通認識として伝えられるか、というのが「書く技術」なのだろうと思うわけです。
たとえば最近のお気に入りの歌の中のフレーズ。
「夏のにおい」
それはアーティスト(その人が作詞もしてるので)の思ってるそれとは厳密には違うかも知れない。でも、その言葉を聴いた瞬間に呼び覚まされる一つの「夏のにおい」というべき感覚が私の中にある。
合ってるか違ってるかではなく、喚起させられるかどうか、ということが(特に芸術的、創造的)表現の中では重要なんじゃないかなと思うわけです。
そういう「言葉ではない」感覚を「言葉を使って」喚起すること。これが文章表現の一つの究極の目的でもあるよなと。
だから私の座右の銘(とちょっと違う気もするけれど)に「見たことも聞いたことも想像してもいないことは書くことが出来ない」というのがあって、それが引用文の最後の一文に繋がるわけです。
自分の中にある「感じたことのあるもの」をどうやって的確に伝えるか(的確に、という表現もここの場合間違ってる気がするけれど、まぁそんな感じ)ということは、常日頃から言葉への感覚、感受性と言ったものを研ぎ澄ませておくしか、鍛えることは出来ないのかなと、そんなことを考えさせられました。