愛より金 続き 長文注意 | 萌え燃え日常戦記

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時に萌え、時に滾り、時に凹む柊の日常をつづります

この前の「愛より金」の記事を書いてから、ずーっと色々と考えることがあり、そんなことをつらつらと書き連ねてみる。


私がいわゆる青春時代の頃は、「ルンルンを買っておうちに帰ろう」や「クリスタル族」なんてものがハバを利かせていた頃だった。

女子大生になれば、誰でもユーミンの歌みたいな生活を送れると思ってた。

っていうか、女子大生ってものになれば、あぁいう存在になるんだと思ってた。

(それを期待していた、というよりは漠然と『そんな感じなんだろうなぁ』と思ってたところが、まだ救われるんだけど)

根拠なんて何もなくて、なんとなくそんな感じかなっていうか。


バブルは天井を知らず、一人暮らしをすれば、何の苦労もなく毎日勉強を頑張りつつ、適当にバイトでもしていれば、適当に遊んで暮らせると思ってた。

もっとも、そんなのは大学に入学して半月で崩れたけどね(苦笑)

まだ、バブルまっ最中のことで、私は半月で崩れたけれど、私大に行くのが当たり前だけど「国立大にしか」受からなかった子達は、親からの仕送りで毎晩クラブ通いをしてても許される時代だった。


彼女、彼らは週に3回はディスコに通い、週に一回は合コンに出席して、本命の彼氏以外にミツグくんやアッシー君を最低でも二人くらいは抱え、授業中にはメモを回して(ケータイなど存在しない時代である)夜のコンパのスケジュールを相談していた。

自分は当事者にはならなかったけど(ある意味残念でもあり、ある意味ほっとしてもいる)、そういう人たちを目の当たりに、ハングリー精神を鍛えられた時代でもあった。


今、格差社会だという。

でも、それは本当かな。あの頃の「あれ」は格差じゃなかったんだろうか。

今みたいに100均が普及しているわけでもなく、調理器具(たとえばお玉一つ)買うにも、一食分のお金が必要だったあの時代は、格差社会じゃなかったんだろうか。



この前フェミニズムの本を久しぶりに読んで、大学時代の友人から勧められた本のことを思い出した。

「シングル単位の社会論」とか、そういう本なのだけど。

これらは確かに今の私にとって、理想な社会に思える。でも。

先日書いた調査の結果とか見ると。


それって勝ち組の論理じゃないんだろうか、とふと思った。

人は、一人で暮らすより、相棒を見つけて共同生活を行った方が「経済的」なようになっている。

少子化社会を受けて、子どもを一人や二人は生んだ方が、社会的に生き易いような仕組みは山のようにある。

(とはいえ、この前の大野病院事件のようなことがあり、産婦人科医が減り、さらに田舎では生みたくても産めないという現実があるんだけどね。気になる方は『離島』『出産』などでググって頂けると分かるかなと)

でも、出生率は下がる一方で。


気持ち的にはシングル単位というのはすごく分かる。

でも、社会的には「シングルでおられてたまるか」という気配をひしひしと感じるわけで。

シングル単位の方が気持ち的にはラク、なハズだけど。

一人で寂しいって気持ちもあるわけで。


これって「フェミニズムと恋愛の両立はありうるのか」と考えてた大学時代にすごく似てるとか、そんなことを思った。

考え方としてはすごく納得できる。

それを選べば、かなりラクになれる。でも実際にはそれってムリちやうかっていうかね。


男女雇用機会均等法で、女を男並に働かせるのか、男社会を女でも生きやすいように変えていくのかという議論があったように記憶している。

それと、すごく似てるかなって。


シングルでも、カップル並に生き易い世の中を作っていくのか、シングルで生きるのなら、カップル並に「社会的生産性」や「責任」を果たせと詰め寄るのかってね。

ただ、極端な話、この場合の「生産性」とか「責任」は税金=稼ぎであって、男が子どもを産めない(すなわち子どもを生むのは女しか出来ず、その場合に、その期間は『稼ぎは発生しない』)様な矛盾は生じないわけで。


ここらへんが更に難しいのかなと思ったりするのです。

で……

いくらもらえれば「豊かな生活が送れる」のか、という問題になるわけです。

すなわち、いくら払えば(税金を)、一人前とみなしてもらえるのかと。


答えの出ない質問だとはおもいますが。

こういう問題を考えると、そこを逃げては答えは出ないと思ったりするんですよね。



でもって、この前の調査結果とか、そういうことを考えていくと実は、出生率を上げるには、若者をプアにさせるがいいんじゃないか、という政策ではないかと考えてしまう。

遊ぶ場所もない田舎では、やることがセックスくらいしかないから、学生結婚が多いという、どこまで本当なんだか嘘なんだか分からない話を聞いたことがある。

田舎で貧乏暮らしをしている若者は、果たしてどういう生活を送っているのか。


ワーキングプアという言葉が囁かれるようになって久しい。

実際に身の回りでも、そういう若者を多数見かける。

独身貴族なんていう言葉が似合うのはみんな最低でも35以上か更に親元暮らしで地道に生きてきて、貯金だけはある、という人種だったりする。


そういう生き方を選ばないのなら。


早いうちに「条件の合う」相手を見つけて「結婚にこぎつけて」、「子どもを産んで(社会的に庇護されて)」、「平凡な幸せを享受する」というのが「政治の考える」「国民の幸福」なんです、と。

「だからそういう人生を歩んでね(ミャハ☆彡)」という政治の糸が見え隠れはしないかなと。


それって

……っていうか、それでいいんですかと。

私はイヤです。



10代でできちゃった婚をした女の子のまわりはみんな似た感じで、5人中4人が十代でできちゃった婚、さらにその子が「離婚しないでいる最後の一人だった」と聞いたことがある。

酒屋に居た時のことだけど。

その子は「結婚した頃は『これが幸せ』だと思ってたんですよね」と離婚の時に呟いた。

その子が離婚したことで、周りは全員「バツイチこぶ付き」になったんですって言ってた。


子どもは可愛いらしい。でも、その子は結局離婚を選び、周りを苦しめた。

そんな人生を選んだ自分を責めていた。

私はその時点で彼女とあまりにも多くのことが違いすぎていたので、ただ聞いてあげることしか出来なかったのだけど。


若い時には見えないものがあるのかなと、そのことを思い出すたびに、そういうことを考える。彼女だって、離婚前提に結婚したはずじゃないのだし。

幸せに結婚生活を続けられるのならば、彼女だって、彼女の友人だって、その方が良かったに決まってる。
でも、結局みんな離婚しちゃったんだよね。


「私がちゃんと考えてなかったんです」と彼女は言っていたけれど。

若くして結婚するっていうのは、自身の未熟さをも引き受けるリスクと、そのリスクを背負う覚悟が要ることなのだなと思ったね。


シングル単位の社会は、社会として非常に好みで、そうなって欲しいという気持ちはあるんだけど、今の状況のままそんな社会(というか思想が普遍的な社会)になったら、まちがいなく出生率が下がると思うから、果たしてそれは社会として健全でも「種として」健全なのか?


何が正しいのか、時として分からなくなる私です。


さて、そろそろ寝るかぁ……