わたつみ | 萌え燃え日常戦記

萌え燃え日常戦記

時に萌え、時に滾り、時に凹む柊の日常をつづります

 どこまでも、どこまでも潜って行きたいと思った。
 ゆらゆらと漂う、ここは船の上。船底にはガラスが張られ、そこを覗き込めば小さな魚や海藻がふわふわと陽だまりに揺らいでいるのが見えた。
 
 小さい頃に見た、童話の世界を思い出す。自分が小さくなって、そこへと飛び込めば、それはそのまま、現実からトリップ出来るような気がした。
 
 「酔うなよ」
 かすかに笑いを帯びた声で、私は現実へと連れ戻される。
 「大丈夫」
 微笑んで見せて、私はまた、船底へと向き直った。

 なめらかに広がる海底は、普段の自分が暮らしているギスギスした社会と、なんと違うのだろうと思う。
 それは、上から眺めているからそう思うのだろうか。
 他人の不幸話は、まるでドラマを見ているかのように面白いのと同じで。


 ――――――


 私がこの町へと最初に連れてこられたのは、まだ彼とはただの恋人同士だったころ。

 学生時代のことだった。

 初めて訪れたこの町は、都会暮らしに慣れていた私には新鮮で、何もかもが興味の対象だった。
 食べるものもおいしく、風光明媚な気色に彩られたこの町を、私は今でも決して嫌いではない。
 

 ただ、そこに暮らす人々の因習や、昔ながらの考え方を知るにつれ、そしてその中に溶け込もうとするにつれ、私の心は窒息していくようだった。


 いつからか、逃れたいと思うようになっていた。彼の、あるいはその他の何とも言えるわけでもない何かが、私をじわりと追い詰めていく感触。

 けれどそれらの正体を確かめるすべは私にはなかった。
 息をするたびに、酸素が足りなくなっていくように、私の心のどこかが壊れていく感覚。それは何だったのだろう。
 


 「来るか」


 確かに声が聞こえた。彼の声ではなかった。それは声だったのに、耳ではなく脳髄へと響いた。
 「来るなら、来い」


 その声、いや感情が私の頭の中に、もう一度強く響いた。


 顔を上げる。今の……今の声は何だったのだろう。
 辺りには他の観光客がそれぞれに船底を楽しんでいるだけだった。へさきへと向かう。かもめが数羽舞っていて、私はそれに誘われるように手を伸ばした。


 ――――――


 「誰かが落ちたぞ!」
 遠くで人が叫ぶ。私はわが身がただ水の中へと融け込んで行く快感に、陶然と身をゆだねた。

  ――― Fin.