例えば
その人にとって、
「優しさ」
が学ばなければならない
テーマだとします。
すると
その人にとって、
「優しさ」を学ばされるような出来事が起きます。
とりわけ人との関わりの中から学ばされます。
その学びは大きく分けて、
2つのパターンのどちらかで学ばされます。
一つは
優しさの見本となる人との
心地よい(快楽)出会いから。
もう一つは反面教師となる人との
心地悪い(痛み)出会いから。
幼少時代に
お母さんが優しい人だったとしたら、
その経験が自然と快楽としての学びとして
優しさを身につけさせてくれたり、
その逆に、
おかあさんが優しくない人だったとしたら、
その経験を苦痛としての学びとして、
優しくなる必要性を学ばされたりします。
どうなったら
苦痛ではないアプローチで
学ぶことが出来るかまだ研究中ですが、
一つ言えることは、
学び方が痛みでも快楽でも、
どちらも魂にとって、
大切な成長のステップだと言うことです。
これまでの自分になかったものが
痛みとして認識される学びなのかもしれません。
今辛い状況だったとしたら、
★ その痛みからから自分は何を学べるのか?
★ その状況の真逆の快楽の状況はどんなものか?
その快楽と苦痛の陰陽のバランスから、
この状況で学ぶべきテーマが見えてきます。
シーソーの支点を
見つけていく作業かもしれません。
確かに苦痛はストレスフルですが、
自分の能力と可能性を広げてくれる
貴重な機会と捉えると
新しい気づきが得られるかもしれませんね。
アカシックレコード・リーダー
しゅう