助手席
思えば私たち兄弟の送り迎えのため
急いで免許をとったあなたでした
教習所についていった幼い私は
カップのホットストロベリードリンクを胸にこぼし
火傷をして邪魔をしたものでした
なれぬ山奥に嫁に来て
下界に降りる足は車しかなく
初めは幌付きのジープ
やがて緑のジムニー
そして一番長く乗ったキャラバン
最近ではハイエース
仕事のためとはいえ
女性でありながら無骨な車ばかり
軽などは一度も乗ったことはなく
舗装もされない砂利道を埃を巻き上げながら
朝な夕なに送り迎えに買い出しと
次第に手足のように木島平の山道を駆け回ってました
助手席に座る私は徐々に大きくなり
かえってあなたは小さく
だんだんとハイエースのシートの背中とお尻に
隙間ができ車体の大きさが目立ってきた
それでも私はあなたの運転する
車の助手席に座るのが好きだった
小学校で腕を骨折して中野の病院に行く時
高校受験に合格して肉まんを頬張りながら帰った時
東京に出る日に飯山まで送ってもらった時
帰省の際に雪降る夜道を迎えに来てもらった時
私はあなたの運転する横顔が好きでした
夕日に照らされた横顔のなんと美しいことか
のんびりを越えて
決して事故など起こしようもない
速度と柔らかなブレーキの
父親とはまったく真逆な
あなたの性格そのままの
(私はあなたに一度も怒られたことがなかった)
優しいゆりかごのような車内で
山道のカーブにゆらりゆられ
思えば車のなかの
狭い二人きりの空間で
なにげなく交わしていたあれこれが
わたし達にとっては一番親子らしい
親子をこえて人と人のような
大事で幸せな会話だったと
いま思えるのです
昨日免許の返納をおこなったと
実家の弟から連絡がきました
「もう運転しなくていいなんて気が楽」と
あなたは笑って言ってたそうですが
いつのまにかもう
あなたの隣の助手席で
笑いながらなんの心配もなく
話してやがてうたた寝をして
あの安らかな時間を二度と
過ごすことはなくなってしまったのだと
私は少し泣いてしまいました
今まで本当にありがとう
お疲れ様でした
私は免許はないけれど
これから私が車です
今度は助手席に座ってできるだけ永くゆっくりと
ゆけるところまでいきましょう
お母ちゃん素敵な運転をありがとう